ハノイ街の写真 - Photo Column

ハノイ市街と周辺でのスナップ写真とコラム

1990年代からのハノイの街の写真です。facebook に投稿したものを集めました。

 

1) Hoan Kiem 湖

2019年5月18日

Hoan Kiem 湖の古い写真(1997年)です。

2) Hoan Kiem 湖

2019年6月1日

また古い写真ですが、1997年のHoan Kiem 湖です。勿論フィルム時代の写真で、右上に日付が写り込んでしまっています・・・


3) Hang Dau 通り

2019年6月6日

またまた古い写真ですが、1998年頃、Hoan Kiem 湖近く、Hang Dau 通りだと思います。シクロがまだ観光用でなく庶民の足として街を縦横無尽に走っていたころかと思います。(確か'98~'99年頃から順次規制がかかって観光用のみになってしまったかと思います)



4) ハノイ 1995年 ①

2019年6月15日

3つとも、1995年2月のハノイです。
一つ目は、Trang Tien の国営百貨店の店内です。私が写した店内の様子は残念ながらこれのみです。木枠にガラスをはめた少々埃っぽいショーケースが懐かしいですね。二つ目は、Pham Ngoc Thach と Chua Boc, Dong Tac の交差点付近です。左に角の形状が円柱状にカーブしたアパートが見えますが、これは現存しますね。それ以外はとても同じ場所とは思えないくらいの変貌ですね。三つ目は、その交差点付近の朝の通勤ラッシュの様子です。


5) バクニン省 1999年

2019年6月29日

1999年 Bac Ninh 省です。後方遠くに見えるのはレンガ工場、というかレンガ窯です。以前は川岸などにはどこでも見られました。そういえば、最近日本のホームセンターなどで売られているレンガはベトナム製がとても多いですね。


6) 空から見たハノイ市街全景

2019年6月13日

これは比較的最近の写真で、2018年VNの機内から撮ったものです。ハノイ市街一望です。中部や南部方面へ向かう国内線がノイバイを発ったすぐ後にこの辺を飛ぶのは見たことがありますが、こんなにクリアにハノイ市街が見渡せるのはとても珍しいですね。下から右へホン河、右端にHo Tay が見えます。よく見ると、Keangnam や LOTTE の高層ビルもしっかり見えますね。


7) ハノイ 1995年 ②

2019年8月6日

1995年のハノイの写真を4点。左はHue 通りの ”August Cinema”、中央上下はHoan Kiem 湖の 1 Ba Trieu 付近、右上はGiang Vo 通りの消防署(Giang Vo の Cat Linh 近く)です。

 

8) ハノイ市街 1999年

2019年8月10日

1999年のハノイ市街の様子です。左は Hue 通りであったかと思いますが、日曜日の家族連れといったところでしょうか。右上は Hang Gai 通りですが、車が写っておらず自転車が中心ですね。右下は Nha Tho 通り、ポーズをとってくれているシクロのお兄さんがちょっと素敵です。それにしても彼が運んでいるのはコンプレッサー?


9) 大劇場 (Nhà hát Lớn) と Tràng Tiền通り

2019年8月13日

大劇場とTrang Tien 通りの古い写真を4点。左右両端の写真は、1998年のTrang Tien 通り、大劇場の方向です。この日は休日でしたが、それにしても交通量の少なさにあらてめて驚きます。中央上の写真は、1998年の大劇場前です。Hilton Hanoi Opera 開業前で建物を建設中です。手前右側は現在ハノイ証券取引所となっているところです。この写真は建替え前の姿で、フランス統治時代に百貨店として建てられたものだそうです。1998年当時は国営ので電器屋さん(?) で、暗くて雑然とした店内で、一等地にありながらあまりお客さんがいなかったのを覚えています。中央下は、現在のTran Tien Plaza 前の交差点の1995年の様子です。ここは既に信号があったんですね。この写真の左側の角には現在マクドナルドがあります。その角には今もポリスボックスは健在だったと思います。


10) Bát Tràng 2001年

2019年8月24日

若干年月が近くなって2001年。場所はハノイから少々郊外で Bat Trang です。現在は随分と賑やかになって、ハノイの市街地を歩いているような街になっているようですね。2001年の頃、この頃も観光地的に知られ観光客の誘致に頑張っていましたが、Hồng 河 の堤防の細い道をトコトコ行ってやっとBat Trang に着くという感じでした。地域の産業としての焼物の村でまだまだ長閑な風景でした。 でも既に1~2軒クレジットカードを使えるお店があって少々驚いたものでした。ハノイの市街でも外国人が入るホテルやレストランでクレジットカードが使えたくらいの時代でしたので。(それもノートに手書きされた”ブラックリスト” と私のカード番号を手作業でじっくり照会されてからの支払いということが少なくありませんでした・・・)

 

11) 2010年のある日のハノイ市街

2019年9月11日

今回も古くも無く新しくもない写真で、2010年のある日のHoan Kiem 湖周辺です。(10年 ”ひと昔” ですが・・・)
2010年3月のある晩ですが、ハノイでは珍しい霧で、幻想的な雰囲気になりました。(焼き畑の煙がハノイ市街に滞留して霧のような視界になることは時々ありますが・・・それとは全然違います。)霧は水蒸気を含んだ大気の温度が下がった時に発生するそうですが、湿度が特に高い3月、この日は夜になって急に気温が下がったのでしょう。20:00頃ですが一面霧に覆われた街は素敵な景色になりました。

①②はBa Trieu と Trang Thi の交差点のハノイ市ホアンキエム区警察署です。19世紀末にフランスの警察署として建てられたものだそうです。

③,④はHoan Kiem湖の周りです。④には中ノ島の ”玉山祠(Đền Ngọc Sơn) " が見えます。霧に覆われていつものライトアップも何か素敵です。(写真がブレていてすみません・・・)

⑤はTrang Tien 通り。フランス時代の建物の黄色い壁と霧、いつもと違った不思議な印象です。"May10" の看板が写っていますが、ハノイでは有名な紳士服のブランドですね。日本人はあまり知りませんが、”May10" は「第10番縫製会社」の意味だそうで、以前は大きな国営企業には ”第〇〇” と会社名が付けられていました。

⑥はHue 通りTrang Tien Plazaの前。⑦はDinh Tien Hoang 通りで郵便局前です。

12) ハノイ市街 1998年~1999年

2019年9月7日

ハノイ市街、1998年~1999年頃の様子、自転車、バイクです・・・。

上左は、Hue通りだったかと思いますが、休日の朝です。幅の広い一方通行の大通りの真ん中を自転車が幅を利かせています。これも今から考えると贅沢な感じです。

上右は夕方のHue通りとHai Ba Trung 通りの交差点です。左に見える青い壁は国営百貨店跡、Trang Tien Plazaの建設工事前です。しかし実際に工事が始まったのはこの4、5年後で、権利関係が揉めたり資材が高騰したり・・・ということのようでした。例えれば日比谷交差点の角地が4、5年空き地になっていたような・・・これも贅沢な事でした。

中段は、左右ともはHang Gai 通りからHang Bong 通り付近です。左は、今と比較しようとすると、見たことがあるような無いような・・・ですが、写真後方がHoan Kiem湖です。写真に写っていない左側がロータリーですね。現在ここを徒歩で渡るのは困難を極めますが、この頃だったら怖がらずに渡れましたね。

右は、祝日だったのですね。写真左の道沿いにたくさんの国旗が掲げられています。

下の左と中央は、具体的な場所をちょっと思い出せません。中央は、は自転車は完全に荷車となっていますね。これは重いものを運んでいるようですが、軽いものであれば、自転車の3倍くらいの高さに積んで漕いで乗っている姿もよく見ました。かなり遠くから街に来ている人も少なくなかったようで、仕事の終わった後は売上からバス代を払いバス屋根上の荷台に自転車を載せてもらってバスでぐっすり寝ながらうちに帰っていく姿をよく見かけました。

下の右は、Trang Thi 通り、左がLe Thai To、右がBa Trieu の交差点です。信号変わりのスタートダッシュ、中央の西洋人はダントツのトップで、ハンドルさばきにも気合が入っています。


13) Hoan Kiem湖とその近辺

2019年9月8日

時期はやはり1997年~1999年頃です。(この頃、写真を撮りに行く時は、なぜかHoan Kiem 湖の周りが特に多かったので・・・)

上の写真は、よくある構図のHoan Kiem 湖です。郵便局は「Buu Dien」の看板のみで「VNPT」という看板は2000年代になってからであったかと思います。ベトナムでインターネットが使えるようになったのは、この年1998年であったかと思います。

下の2つの写真は、Hoan Kiem 湖畔の様子。左の写真の女性は、サイクリング途中の休憩中の西洋人を捕まえて英会話をトライしたりしているのでしょうか。隣にいる友達の表情がなぜか不安そうですが・・・。右の写真は、みんなこの木に登って写真をとっていますね。今もそうですね。

上左はDinh Tien Hoang 通り、「Buu Dien」の前からHoan Kiem 湖畔を撮りました。現在、ここは休日には歩行者天国になっていますね。この当時は当然そんなことはありませんが、この閑散とした様子、歩行者天国みたい・・・というより通行止めのように見えます。

上右の写真も閑散とした様子の道ですが、写真の中央に「大教会」がありますので、Nha Tho 通りですね。この写真、日曜日の正午前くらいだったのですが、現在からは想像できない雰囲気です。この道、こんなに広かったのですね。右に懐かしい「ヴォルガ」が写っています。

下左の写真は、Hoan Kiem湖北側の駐車場です。遠足で来た小学生でしょう。これからバスで出発という様子。出発のまでの間におやつを売りにたくさんの人たちが群がっています。この頃は車酔いする子が多かったので、あまり売れなかったのでは?と思います。

下右は、また湖畔です。これは1997年の冬、寒くでも湿度が高い日でした。Hoan Kiem湖が霞んで見えて、地方の山中の湖にも見えるかも・・・。

14) Hoan Kiem 湖とその周辺② 1997~1999年

2019年8月31日

上と下左の写真はHoan Kiem 湖、まだ周りに高い建物が見えません。そう、ここは言わずと知れた亀の伝説の湖ですが、亀というよりここにいる ”シャンハイハナスッポン” がその伝説のモデルのようですね。現在老齢のオス2体が確認されているそうですが、これが世界で最後の2体とのことです。オス2体ということで残念ながら近い将来絶滅は必至のようです。Ho Tay にもいるという噂を聞いたことがありますが、あくまでも噂の域を出ないお話しのようです。もしかするとハノイのたくさんの湖は本当に地下で繋がっているのかも知れませんね。

下中央は周辺のDinh Tien Hoang 通り、下右の写真はHang Gai通り、この”揚げパン”の香ばしい香りが懐かしいです。

上左は同じくHang Gai 通りの様子です。今も昔も賑やかですが、この頃は四輪車は少なく”交通量” 云々というより「道に人がたくさん」という感じです。

右はHoan Kiemからちょっと離れてHue 通りの ”内務省” の 入口、我々のビザの招聘状発信の手続きはここに来ていました。

下左はその周辺の道の様子、自転車が道路の主役、真ん中を安全に走ることができました。バイクのヘルメット着用が義務となったのはこの10年後でした。

上の写真も、Hue通り付近、このスタイルのバスが懐かしい事と、空いている広い路面と青々とした街路樹とのコントラストも懐かしい感じです。

15) Hoan Kiem 湖とその周辺

2019年9月1日

引き続き 1998~1999年のHoan Kiem 湖周辺です。

左は、Hoan Kiem湖畔、Le Thai To通りの方です。

上右は、現在のTrang Tien Plaza の前の交差点、ここでTrang TienからTrang Thi 、Hue から Dinh Tien Hoang と、通りの名前が変わりますね。この写真は日曜日の20:00頃だったと思いますが、こんなに交通量が無いのには驚きです。

右中央は、Hoan Kiem湖北側のDinh Tien Hoang 通りからHang Gai 通りに変わるロータリーのあたりです。1994年までここには路面電車が走っていたそうです。

右下は、Hang Gai 通りで、右の方に写っている "Le Minh Silk" のお店には外国人がよく行っていましたね。ミッテラン元仏大統領、カトリーヌドヌーブが来店した時の写真が誇らしげに掲げられていました。それから、日本の皇后陛下の妹、小和田礼子(旧姓)さんが来店された時の写真もありました。小和田礼子さんは、1991~1994年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ハノイ事務所にいらっしゃいました。私の周りの日本人の間で、"Le Minh Silk" でシルクのジャケットを仕立てるのが人気で、(シルクで、仕立てで、とても安かったので・・・)私は何度も人のジャケットを受取りに行き、一時帰国の時などに日本へ持っていきました・・・(安く仕立てても、日本でのクリーニング代が仕立の代金よりも高かったそうですが・・・)

上は、Nha Tho 通りです。写真の後方に大教会がありますが、現在市内有数の観光地でこのあたりの雰囲気も大変大きく変わりましたね。

16) Hoan Kiem 湖とその周辺

2019年9月3日

またまたHoan Kiem 湖周辺の写真で、1998~1999年頃の写真です。気がつけばシクロの写真ばっかりになってしまいました。1999年頃まで公共交通の整備が遅れているハノイでは、重要な庶民の足でした。これは ”ハノイ型” のシクロ。他にホーチミンには ”ホーチミン型” がありました。一人乗りくらいの幅の狭い席ですが、ハノイ型より背が高いスマートなスタイルでした。”ハイフォン型” は下がボートの船底のような形をした独特なスタイルで、さすが港町と思ったものでした。”ダナン型” もありましたがよく形を覚えていません・・・。

左は、大教会に近いHang Trong 通りであったかと思います。シクロの立ち漕ぎがちょっと格好いいです。

右上は、Dinh Tien Hoang 通りで国営百貨店の近くであったかと思います。

右中央は、 ”水上人形劇” の劇場前です。今はいつでも観光バスが何台も止まっていますが、こんなに広かったんですね。

右下、ここはDinh Tien Hoang 通り終点のロータリー付近。後方のビルは今もありますがテナントは随分変わりました。この頃1階はDaewooの電化製品の大きなショールームで、この頃では珍しかったのでいつも賑わっていました。

左は、これも大教会近くのNha Chung 通りであったかと思います。お休みの夕方にシクロでゆっくり友達とアイスを食べながらお話し、って結構贅沢な時間かも知れません。

右上も同じ通りです。年季が入ったシクロですが街の景色に溶け込んでいます。

右下は、ちょっと後年で2001年です。場所の記憶がはっきりしないのですが、旧市街の方かも知れません。とってもとっても暑い日であったことだけよく覚えています。

17) Hoan Kiem 湖とその周辺
2019年9月9日

今回は最近の写真です。とは言っても最近10年のものです。(10年はもう ”ひと昔” ですが・・・)

上2つは、いつものHoan Kiem 湖、2018年です。昔の写真と比べると、"Buu Dien” は"VNPT HA NOI" になっています。周りに背の高い建物が増えました。でも、"VIETCOM Tower" のような高層ビルが目立つかと思っていましたが、街の4,5階建ての建物がこんなに増えていたんですね。

下の左は、Trang Tien, Trang Thi と Hue, Dinh Tien Hoang の各通りが交わる交差点で、これも2018年。"歩行者天国" の土曜日に交差点の真ん中に立って撮りました。待望の ”マクドナルド” ハノイ1号店が見えますね。後は街の様子。

下の右は、Trang Tien 通り、”大劇場” の方向です。あんまり新しい写真でなく、2010年頃であったかと思います。それでも、交通量が’90年代と圧倒的に違います。

上左は ”VNPT HA NOI" の前の Dinh Tien Hoang 通り、2018年です。閑散としていますが、’90年代のそれとは違い ”歩行者天国” の土曜日です。

上右は Trang Tien 通りの画廊の ”番ネコ” です。いつもこの絵画(写真?)の前で "番" をしていました。これも2010年頃で、残念ながら今はもういないですね。

下左も Trang Tien 通り、これも2010年です。

下右は、 Hoan Kiemの有名な観光地でも ”インスタ映え” です。でも方向が有名な観光地と逆ですね・・・。

左はTrang Thi 通り、2013年頃であったかと思います。勿論皆ヘルメットを被ってます。ここに写っている自転車は”マウンテンバイク”ですね。そう言えば、この頃から街に ”GIANT” ブランドの自転車屋さんを見かけるようになったような気がします。
右は、Hoan Kiem 湖の北側のロータリー付近で、2018年です。’90年代と比べると交通量、交通の種類、看板の種類も違って大変賑やかで活気がありますね。

18) 緑の首都ハノイ

ハノイの市街はどこに行っても背が高くうっそうと茂る街路樹があっていつでもその緑に囲まれている美しい街です。世界の首都でこれだけ緑に囲まれた首都はそうないと思います。2015年にハノイ市人民委員会が約6,000本以上の街路樹の植替えをすると発表して大騒ぎになったことがありましたね。それだけ市民から愛されていることをあらためて感じたのを思い出します。

上右は、Nha Chung通り。1998年です。このようなアングルで写真を撮るといつも画面の半分くらいが街路樹の緑になります。

上中央は、Ngo Quyen通りのメトロポールホテル旧館前です。秋頃になると、葉っぱの絨毯とクラッシックなシトロエンとシクロ、これも素敵な雰囲気です。ご存知のとおりこのシトロエンは観光用に稼働しておりちゃんと冷房も付いています。メトロポールの運転手チームの人達がメンテをしている光景を見かけます。

上右は、確かHai Ba Trung 通りであったかと思います。1997年頃です。日本から来た ”神戸市交通局” のバスが写っています。このバス、ノイバイ空港内だけでなくハノイ市街でも見かけましたね。

下左は、Ngo Quyen 通りとTrang Tien 通りの交差点付近です。そうそう、ここにはお菓子の箱やたばこの箱やお酒などをたくさん積んだお店が何軒も並んでいましたね。今はその様子も変わりましたがこの背の高い木は健在のようです。

その右隣りは、Hue通り、2008年であったかと思います。後方の遠くに見える緑のトンネルは壮観です。

またその右隣りは、緑のトンネルと交通の混雑のコントラスト。Tran Thi 通り2010年です。そして、皆さんご存知、傍若無人の散水車。散水車に追われて逃げ惑う通行人も、休日はなんか楽しそうでした。

右端は、これもTrang Thi 通り。比較的最近で2018年です。”歩行者天国” の土曜日の午前で、店先には子供用の遊具が客待ちをしています。午後にはここは遊園地のような賑わいになります。

19)”緑の首都ハノイ” の続きです

2019年9月16日

右は ”大教会” 近くのHang Trong 通り1998年です。昼寝しながら客待ちのシクロの後ろ、現在は観光客相手の土産物屋さんが並びますが、この頃は新聞や暦を売る露店がたくさん並んでいました。そう言えばここは 新聞 Nhan Dan 紙の本社の裏手になるんでした。

中央の写真も1998年ですが、旧市街の Hang Chieu 通りであったかと思います。記憶がはっきりしないのですが、とても蒸し暑い夕方であったことはよく覚えています。

右は Hang Gai 通り1997年です。大きな絵画を持ったバイクの人、なかなか厳しい体勢ですが、絵画の前の二人は楽しそうです。

 

上左の写真は Hai Ba Trung 通り1998年です。この自転車は植木屋さんでしょうか。この通りはいつ撮っても画面の半分以上を街路樹の緑です。

上中央は、Dong Xuan 市場近くで2018年です。日差しの強い暑い日でしたが、大きな街路樹達が今も通りを守ってくれています。

下左は、少々高いところから見たHoan Kiem 湖全景、2009年です。10年前なので、周りにまだ高い建物が少ないですが、湖畔の立派な緑は現在も変わりませんね。(あまりいい天気の日でなかったので色が元気が無くて残念ですが・・・)

上右は、 Hoan Kiem 湖畔のTrang Thi 通り、2018年です。ハノイで珍しく ”快晴” の日で空と緑を一緒に撮りたくて・・・という写真です。

下右は、 Ngo Quyen 通り、Hotel Metropole Hanoi 前です。向こう側に見える黄色の建物は、”労働・傷病兵・社会問題省 (MOLISA)” の建物です。フランス統治時代、フランスのトンキンの行政を担当する理事長府の建物として1800年代の終わりに建てられたものだそうです。MOLISAは他の場所に庁舎を建てて移転することを計画しているようですね。MOLISAには何回も訪問しましたが、確かに今となっては使いにくい建物かもしれません。しかし、いたるところに重厚かつ趣のある雰囲気を持った空間があり、庁舎として使うかどうかは別としても末永くよい状態で残して欲しいものです。


20) ハノイの街のスナップです

2019年9月18日

今回は、古いもの、新しいもの半々くらいです。

上左は1998年、Dinh Tien Hoang 通りとHang Dau通りが交わるところ付近かと思います。”宝くじ” 屋さんの台のように見えますが・・・。

上右は、1999年でHang Trong 通りあたりであったかと思います。シクロが市民の足として重宝されていた時代です。みな熾烈な値段交渉してから乗っていましたね。

下左はHoan Kiem 湖畔、Le Thai To 通りの自転車の若い子たちのグループのようですね。

下中央は少し最近で2008年のTrang Thi 通り、日差しの強い暑い日でした。

下右はメトロポールホテル前、結婚式前の写真撮影、よく見かけますね。やはり良い日を選んで撮影するようで、”大安” のような日には何組も待ち行列を作って撮影しています。日が悪い日は天気が良くても閑古鳥ですね・・・。

 

左はTrang Tien 通り2018年。これも歩行者天国の日です。珍しい”誰もいない”大通りを背景に独り記念撮影ですね。

右は2008年Cau Go通りです。使い古された道具といい、髭やサスペンダー、何か格好いいと感じてしまいます。

 

21) またハノイの街のスナップです

今回の写真は人の顔が大きく写っている写真が多く、今日日あまりよろしくないかも知れませんが・・・皆10年以上経っているので一応時効ということでご容赦を・・・。

2019年9月20日

左の写真は、旧市街の何処かとしか覚えていませんが、1998年の夏の夕方です。渋い表情にカルバンクラインの帽子がちょっとオシャレです。

中央の写真は、Long Bien 橋、2001年の一番暑い頃でした。私は右端の舗道のようなところに立って撮っていますが、ここは薄い木の板で、継ぎ目から下が見えて結構スリルでした。

右の写真は1998年冬、Hue通りかHai Ba Trung 通り、きちんとネクタイをして自転車で仕事へ向かう様子ですね。

 

左の写真はNha Chung 通り、1997年であったかと思います。

その右隣りの写真は、何処かがはっきりわからないのですが、Hoan Kiem 湖からそう遠くないところかと思います。2008年3月末の日曜日の昼前、混雑していますが活気のある風景です。3月の割には明るい日ですね。短い春が訪れたところでしょうか。

そのまた右隣りの写真は2009年 Le Thai To 通り。背筋をピンとした歩き姿、素敵ですね。靴のかかとを踏んでいるけど・・・。

右端の写真は、これもどこの路地かわかりません。ハノイの街には無数の路地がありますが、それぞれいろんな風景があってつい歩いてしまいます。

2008年、Nog Quyen 通りのメトロポールホテル旧館。1901年から今なお健在の建物です。私はこの写真をPCのスクリーンや待ち受け画面など、いろいろなところで使っておりお気に入りの写真のひとつです。

22) ”大劇場 (NHÀ HÁT LỚN)” 付近です

2019年9月23日

また ”大劇場 (NHÀ HÁT LỚN)" 付近です。ご存知のとおりフランス統治時代1911年に完成した劇場です。1945年日本がポツダム宣言受諾直後の8月17日~19日の ”8月革命” の際、その蜂起の場所として記憶されていますね。その後は徐々に廃れていったようですが、1977年に多少修復され、本格的には1997年に行われた”フランス語圏サミット”(要は旧フランス植民地諸国のサミット)にあわせて修復されて今の姿となっているそうです。

 

左の写真は、1995年の ”大劇場” 前です。フランス統治時代のフランス人向け百貨店の建物が健在ですね(この頃は国営の薄暗い電器屋さんになっていましたが・・・)右に写るバスが懐かしいです。

中央の写真は ”大劇場” 前、Phan Chu Trinh 通りの方向かと思います。1998年の写真です。

右の写真は、ずっと時間が過ぎて2007年です。フランスの百貨店の建物は随分綺麗に改装されていますね。でも、現在の ”証券取引所” の建物に改築される前の姿です。

 

左の写真は2010年、チャンティエンプラザの前くらいから ”大劇場” 方向です。近くに ”Kem Tràng Tiền" があるので今もアイスクリームを食べながら歩いている人が多いですね。

左の写真も2010年、Trang Thi と Ba Trieu の交差点くらいから長い望遠レンズで撮りました。雄大な姿の ”大劇場” は、どこかの国の大きな寺院のようにも見えます。

 

左の写真は、2010年10月9日の晩の ”大劇場” 前です。翌日は ”1000年祭” で大変な賑わいです。帰宅する際にどうしてもタクシーを捕まえることが出来なかったことを覚えています。

中央と右の写真は最近のもので、2017年です。”大劇場” 前は、それほど大きく変わらないのが意外です。交通量は多いですが、都会のゆとりある大きな空間が保たれて、より景観が美しく品があるものになっていますね。

 

23)ハノイ市街のスナップ(の続き)です

2019年9月29日

上左の写真は1998年、ちょっと記憶があいまいなのですが、Dong Xuan 市場付近かと思います。

上右も1998年、Hai Ba Trung 通りであったと思います。後方の男の子達の自転車隊、日本もベトナムも同じですね。でもこんな目抜き通りを闊歩できるのはいい時代でしたね。

下左の写真は1999年、Hang Gai 通りと Luong Van Can 通りの交差点付近。この男性は”宝くじ” 売りと思います。ここは、この頃も今も大変賑やかなところですが、圧倒的に車が少なかったですね。自転車を二人乗りで真ん中を走るなんて、今はとてもとても・・・。

下右は2008年、Hang Gai 通り。2軒のお店が並んでいて、店の人が左右対称のような位置関係で客待ちをしている景色、なぜかよく見かけます。

 

上左は1998年 Cau Go 通り。暑くて湿度が高い夕方であったことはよく覚えています。

上右はちょっと最近になって、2008年 Cau Go 通りです。

下左は2017年、Trang Thi 通りです。街を走る自動車は、新しくて綺麗に手入れをされているものが大半になりましたね。

下右は、Hoan Kiem 湖の北側のロータリーです。ここはドンキンギアトゥック広場というそうですね。私はいままですっとこの名称を知りませんでした・・・。2016年の歩行者天国の日です。

24) ハノイの街のスナップ(Part いくつか?)

2019年10月13日

  主に’98~’99年のものです。①は夕方のDinh Tien Hoang 通り。遠くに見える青色の壁はTrang Tien Plaza 建設予定地です。この写真の頃、この壁の内側は更地でした。②はHoan Kiem 湖の横、Dinh Tien Hoang 通りとHang Dau 通り交差点付近です。③もHoan Kiem 湖の横、水上人形劇場の前あたりです。④はHom 市場。客待ちの待ちぼうけ・・・というか、昼近くの一段落の時間ですね。⑤は看板のとおりBa Trieu 通りですね。今考えるとBa Trieu とは思えない雰囲気ですね。⑥はBa Trieu 通りと思っていたのですが、太陽の方向と一方通行の向きからBa Trieu ではないですね。Hue 通り?⑦はTrang Tien 通り "KEM TRANG TIEN" ですね。箒で掃いているいる女性がいますが、あれはアイスの棒の再利用だそうです・・・。⑧も「KEM TRANG TIEN」です。やはりここはこの賑わいが、”らしい”ですね。この写真は2008年です。⑨ Trang Tien 通りに来たので、また画廊の番ネコです。隣のお店の店番の子と一緒に撮りました。これも2008年の写真です。




25) (続々々・・・・・・・)ハノイの街の古いスナップ

2019年10月22日

続 (続々々・・・?)ハノイの街の古いスナップです。(Part 数えたら、22でした)
今回は全て'98~'99年です。①は大劇場 (Nha Hat Lon) をTrang Tien 通りから見た写真です。いつもいつもこれですが、ここから望遠レンズで撮る大劇場は雄大です。②も大劇場前のロータリーです。最近は家族みんなで1台のバイクは見なくなりましたね。③は、Trang Tien 通りとNgo Quyen 通りの交差点付近であったかと思います。果物売り、日用雑貨、Xe ôm、いろんな商売の人が待機中です。④ Hue通りであったかと思います。二輪車しかいない景色ですね。でも遠方に見える二輪車の密度は壮観です。彼はもしかするとバッチャンから来たのかも知れません。自転車は、往路では荷車代わりで徒歩で来たのでしょう。⑤ Hang Gai 通り。鍵屋さんですね。ヤスリで手作業で合鍵を作ってくれました。なかなか合わなくて・・・。でも、苦情を言うと簡単に直してくれましたね。⑥は、旧市街の何処かです・・・夏のとても暑い日の昼下がりです。⑦は、どこの通りかは忘れてしまいました。なんてことのない写真ですが、この頃の長閑な街の通りの風景で、ちょっと好きな写真です。⑧は、Hang Gai 通り付近。買い物とおしゃべりと楽しいひと時なんだと思いますが・・・売る方はちょっと厳しい顔・・・。⑨は、大教会を背にNha Tho 通りとHang Trong 通りとの丁字路付近の新聞や書籍のお店が軒を連ねるところです。この建物の向こう側は Nhan Dan 紙の敷地です。だから新聞や書籍なんでしょうか?

26) ハノイの街の写真 (Part 24)

2019年11月09日

ハノイの街の写真、Part 24 です。今回はモノクロフィルムで撮影した写真を集めました。以前は、ベトナムの人達は、モノクロというだけで古いものとして興味を持ってもらえませんでしたが、現在ではどうでしょうか?
 ①~⑦は’98年、⑧は’01年、⑨⑩は2013年です。ハノイでフィルムを現像する時、’90年代は、いわゆるインストアラボでした。日本の中古の自動現像機を店内に置き現像とプリントをしていましたが、モノクロフィルムには対応しておらず、モノクロフィルムは手現像、手焼きでした。日本で考えるとプロがオーダーしていたような贅沢な扱いですが、大きな現像所などは無く、写真に心得のある店主などが、現像タンクと引伸機を使って現像・プリントをしてくれていました。”腕”と現像液のコンディションなどで仕上がり異なりました。それぞれのお店で良し悪しがあって興味深かったです。⑨⑩は現像タンクと現像液を日本から持ち込みフィルム現像のみ自分でやりました。
 ①~③はホアンキエム湖 湖畔の歩道や公園部分です。①ホアンキエムといえば市民の憩いの場ですから、お菓子を売る日がたくさんいましたね。②Le Thai To 通りで今も昔も交通量が多いところで、やはり自転車が多いですね。服装からもうだいぶ寒い季節ですね。③今は見なくなった公衆電話です。この頃は硬貨がありませんでしたので、公衆電話は登場当初からカード式電話でした。靴磨きの少年たちが興味津々何かを見ています。④~⑥は、Hue 通り、Hai Ba Trung 通りです。⑤これもよく見かけましたが、小さな子供が何人乗っているのでしょうか?でも、子供たちはいつも楽しそうでした。⑥はに無いの路線バスの車掌さんですね。制服がなかったので、車掌か乗客かわかり難かったです。走行中もドアを開けてこのスタイルで走っていました。⑦はどこでも見かける路上のカフェです。天気が悪い日にモノクロだと何か怪しい雰囲気の画像です。⑧は、Long Bien橋。7月の暑い日でした。今も昔も日差しを避けて長袖、マスク、ノン傘と完全防備です。(今はノン傘は減りましたね。)⑨は、有名なKem Trang Tien。2013年ですので、奥に駐輪場と広場的な場所を整備されて、路上で食べる人が減りました。(看板を見ると、Kem Tran Tien は昨年60周年ですね)⑩も2013年。63 Ly Thai To ビルの1階にGUCCIがあった頃、ウェディングの写真撮影ですね。GUCCIがあった頃はここも賑やかでした。(GUCCIは有名な事件があってここを撤退、現在はここにPRADAが入っていたと思います。)


27) 1995年のハノイ駅(Ga Hà Nội)

2019年11月10日

 今回は、1995年のハノイ駅です。ハノイ駅の駅舎は、フランス統治時代の1902年に建てられました。東京駅のように中央に駅舎の顔となる正面乗降口があり、左右の端にドーム的な顔の建物(ハノイ駅はドームという形ではないですが”的”ということで・・・)それらを少し背の低い建物で繋がれているというスタイルです。東京駅はアムステルダム中央駅を模したそうですので、欧州の標準的なスタイルなのかも知れません。
 ハノイ駅の中央乗降口の部分は1976年修復されたものです。1972年に米軍の爆撃により中央部のみ破壊されました。現在中央部と左右両翼の建物がアンバランスなデザインになっています。この写真の駅舎はLê Duẩn 通りに面している ”A駅” で、南方への列車が発着しています。北方への列車は、反対側の ”B駅” から発着しており、別に駅舎があります。
 ①の写真はその中央部の1995年の写真です。この頃は屋上部分に "KENWOOD" の看板があり、しばらくは掲げられていましたので、懐かしく感じる方もいらっしゃるかも知れません。
 ②~⑥は、中央部の前に立って駅舎を背にして右から正面、そして左方向に順番に撮ったものです。
 ⑦は、⑥と同じ方向の最近の写真を見つけましたので載せました。これは18年後の2013年です。殆どの建物が変わっていますね。変わらない建物は、左端に写るベトナム国鉄のものと⑦のバスの横の建物くらいですね。後者は、4階部分が増築されているのが面白いです。
 ⑧は更に左方向へ駅舎の片翼です。
 ⑨⑩は、①の写真は全体が見えませんでしたので中央部の全体像。⑨は13年後2008年です。⑩は18年後の2013年です。二輪車や自動車が違いますね。
 ⑪は駅舎の中、1995年です。右端に写る木製の回転式(?)掲示板のレトロな感じがいいですね。
 ⑫は、やはり18年後の2013年の中の様子です。最近の写真が全然無くて残念のですが、2013年以降も大きく変わっています。ホーチミンのサイゴン駅(Ga Sài Gòn )は駅舎の中にコンビニ や Trung Nguyen Coffee入っていたかとおもいますが、ハノイはコンビニはまだですね・・・。
 ”A駅” から発着する旅客列車は、サイゴン行き、ダナン行きなどの長距離列車で、その出発風景は、現在でも、各車の乗降ドアに車掌がつき、走り出すと各車の車掌がドア扱い(手動)をして、ゆっくりと走り出す雰囲気、例えば19:00発のサイゴン行きなどは、1970年頃の東京駅 18:50発の「あさかぜ」の出発時の雰囲気と同じものを感じます。因みにサイゴンに到着するのは翌々日の早朝です。


28) ハノイの街の写真 Part25

2019年11月16日

今回は、時期や場所に統一感が無くてすみません。
①~④は1998年です。①は、Tran Phu 通りであったかと思います。自転車の彼は、片側に荷物でバランスをとるのが難しそうですが、軽快に走り去っていきました。後ろの黄色のバスがとても懐かしいですね。この頃はこれがたくさん走っていました。②は、Hoan Kiem 周辺です。街頭床屋さんですね。安くて、早くて、上手い人は上手い、みんな街頭が普通でしたね。前にも言ったことがありましたが、日本の場合は「店舗を構えている事」というのが認可を受ける最低条件なのだそうです。③は、果物屋さん、皆きれいに並べられていますね。時々、高く美しい積み上げ方をしているのを見ます。朝晩大変な作業ですね。あんまり綺麗に積んでいると中途半端な数を買いにくいですね・・・。④は、Trang Thi 通り、珍しく夕日がきれいな日でした。夕方のラッシュ前の静かな時間。夕日と樹色の建物と街路樹の緑も落ち着いた雰囲気を創っています。⑤は、時期が変わって2007年。路地をのぞくとそれぞれの表情があって興味深いです。暮らしの場なので入っていきにくいですが・・・。この子が指でピースサインをしてくれているは、写真が出来てから気が付きました・・・。折角なのに失礼しました。⑥は、2014年、Trang Tien 通り。似た写真を何回も撮っていますが、宝箱のようにいろんなものがある小さな店は、通りかかる都度、ついつい撮ってしまいます。⑦は、2008年 Hang Bo 通りです。これも凄いですね。店開きと店じまいの作業、気が遠くなりそうです。看板を見ると、ハノイ市の労働および傷病兵、社会問題室とありますね。この日は日曜日でした。役所がお休みの日だけのお店ですね。この写真の範囲だけで4~5軒のお店があるようです。⑧は、2010年 Ly Thai To 通り?・・・と思いますが、バンランの花が咲き始めた初夏の頃ですね(初夏といってもいきなり本格的な夏になりますが)⑨は最近で、2019年 Cau Go通り、最近はこの姿を見ることが大変多くなりました。Grab の Xe Om です。⑩は2019年 定番のHoan Kiem 湖。土曜日でDinh Tien Hoang 通りは歩行者天国です。Hoan Kiem は今も昔も変わらずハノイ市民の大切な憩いの場です。

29) ハノイの街の写真 Part 26

2019年11月21日

今回は地味な構図の写真ばかりですが・・・、1997~99年(ひとつは2001年)です。

①は、Tran Thi 通り、この写真の右がHoan Kiem 湖です。ここは今も昔も混んでいますね。'98年ですが、ここでは交通は殆どがバイクですね。
②は、いつもの・・・緑の通りのバイクです。バイクと言えば、ホンダの ”カブ" 型の ”ドリーム" が中心ですね。左端のバイクはこの頃では高級車。このような車種は珍しかったです。
③は、Hang Quat 通り、仏具というかお供えに使うもののお店ですね。左の女性、スマホを持っているかと思いましたが、手で何かしているだけでした。現在はこの姿は十中八九、スマホでしょう。
④ 客待ちでしょうか?日陰で一休みでしょうか?夏の強い光に街路樹の緑が映えますね。日陰でも明るい写真が撮れました。
⑤は、Ba Trieu 通りだったかと思いますが、お昼の準備ですね。自宅のお昼の準備?道端レストランのお昼の準備?そう言えば、この頃、道端でPhoを食べると1杯 VND 5,000 くらいでした。
⑥は、Hue 通りです。商売の途中の一休みですね。夏の日差しの強い日でも、ハノイにはそれから逃れる緑の ”日よけ” がたくさんあります。
⑦ 場所は忘れてしまいました・・・。何でも修理屋さんですね。右のバイクの修理でしょうか?結構年季が入っています。でも、前面の白い ”風よけ" とバックミラーは、最初から外している人も多かったです。傷がついて価値が下がらないようにね。
⑧は、工事中のTrang Tien Plaza で、2001年の写真です。ここにあった ”国営百貨店" が取り壊されてから4、5年 ”更地” で、それを経て工事がやっと軌道に乗ってきたころでしょうか?
⑨は、ハノイ市街から離れて、郊外の Gia Lam で、彼が渡ろうとしている道は国道5号線です。写真の左の方、現在は自動車販売店が建っていると思います。大きなガラスで囲われた自動車ショールームになっていて、今は郊外でもこの長閑な雰囲気は変わってきました。現在、この辺は Gia Lam と言わず、ハノイ市ロンビエン区になっています。

 

30) ハノイの街の写真 ~ ハノイの市場

2019年11月24日

今回は、”市場” の写真を集めました。昔も今も比較的変わらない風景の一つかと思います。でも、今あらためて写真を探してみると、もっと撮っておけば良かったと思います・・・。1995年~2018まで、いろいろな時、いろいろな場所の市場です。
①は、1995年2月の Dong Xuan 市場です。ちょっと風景がおかしいですね。実はこの数か月前にDong Xuan市場で火災があり、この時建物は改修工事中で、屋外で営業していました。ある意味貴重な写真ですね。
② 名前を忘れましたが、Cau Go 通りにある市場、1998年です。魚介類が見えますね。魚介類は、川で獲れるものだけでした。海産物は、まずありませんでした。海からの輸送手段が無かったからということです。(ハノイから約120Kmのハイフォンでも車で4~5時間かかりました。トラックで運べない事もないですが、市場で庶民が買えるようなものにはなりませんね。)
③は、Gia Lam の国道5号線沿いの青空市場です。建物は奥に小規模なものがありましたが、殆どのエリアは青空市場状態でした。結構賑わっていますね。現在、この写真の右の方の1~2Km先にイオンモールロンビエンがあります。
④ 以前投稿した事がある写真ですが、焼物で有名な Bat Trang で、2001年の写真です。
⑤⑥⑦⑧ は、Hue 通りにある Hom 市場で、2007~2008年です。Hom 市場は布生地が集まっている市場ですが、1階は生鮮食品、生活雑貨のフロアで、フードコート擬きもあります。どれも午前中の写真で、肉類がまだ大量に売られています。肉類は、その朝のものを午前中には大体売ってしまいます。毎日その日に消費する分はその日に市場で手に入れる。冷蔵庫の要らない生活ですね。今、冷蔵庫は普及していますが、市場に行くとこの様子は変わらず、これからの時代、”冷蔵庫の要らない生活” は再認識されるべきことと思います。
⑨⑩は、最近のDong Xuan 市場、2018年です。Dong Xuan 市場は何でもある市場です。マネキンを市場で買う状況を想像しにくいのですが・・・。客待ちの店員、今はみんなスマホですね。両側の高く積まれたスーツケース、その間の狭い空間。この囲まれ感は意外に快適かも・・・。

31) ハノイの街の写真、Part27

2019年11月29日

ハノイの街の写真、Part27 です。いろいろな時期のものが混在していますが・・・。
①は、1998年、Hoan Kiem 湖付近のどこかの通りです。自転車の前にショーケースのような木箱付けて細かなものを売っている姿、以前はよく見かけました。中身は人によって様々でしたが、時々ハンモックなんてものも持っていましたね。②、Hang Gai 通り2008年です。いまでもよく見かける客待ちの姿です。店の中にはいろんなものがところ狭しと並べられていて、写真でもじっくり中身を見てしまいます。③は、Trang Tien 通り1998年、本屋さん閉店後にオープンする野外本屋さんです。まだ通りはそれほど明るくなかったので、この店の灯りが何か怪しいっ雰囲気ですね。④~⑥は、シクロ、シクロ、④⑤は1998年、⑥は2008年です。街を歩くとついついシクロを撮ってしまいます。⑦~⑩は二輪車で溢れる街の様子。年代順に並べてみました。⑦は1997年 Hue 通り、⑧は1999年 Trang Thi 通り、⑨は2007年 Trang Tien 通り、⑩は2019年 大劇場前です。だいたい10年ごとですが、2019年でもヘルメットを被っていない人がいる!

32) 寒い冬のハノイ

2019年12月01日

12月になりました。ハノイは、台湾よりもずっと緯度が低いのですが、冬は10℃を切る寒さです。12月~2月が寒い季節と言っていいでしょう。過去最も寒かった時で3℃と聞きました。私の経験では、6℃が最低でした。夏は45℃になる時もあり非常に寒暖の差が大きい街です。湿度は常に高く、年間平均80%を超えるそうです。気温10℃で湿度90%ということも珍しくなく、日本の冬と感覚が随分と異なり、体感は気温より寒く感じます。

さて、写真は寒い時期の様子を集めました。全体に色が無く、地味な写真が多いですが、これからの季節、よくある光景ということでご容赦ください。

①の写真は、Hoan Kiem 湖、1997年です。手間の花が綺麗なオレンジで咲いているのですが、湖面は寒々とした色ですね。ご夫婦と思われるお二人の格好も寒そうです。
②は、Ba Trieu 通り、2007年。花は様々な色で春のようですが、帽子まで被って本当に寒かった日です。3人揃って何か食べているのが、何か微笑ましいです。
③は、Dong Xuan 市場付近、2007年です。屋外での客待ちは寒さが応えそうですが、短時間勝負の商売ですから、寒さを押し返す熱気があります。
④ 場所の記録が無いのですが・・・これから店開きをするところでしょうか。左の子は虫歯が痛い時のような・・・(ちょっと古すぎますね・・・)この姿の人をよく見かけました。耳が寒いのでしょうか?
⑤ 美容院ですね。順番待ちだったり、お客さん同士で髪をつくっていたり、この写真の狭い範囲のなかでも賑やかです。奥様方が集まるところ、店の前には果物売りも来ています。
⑥ これを見ると ”年の瀬” を感じ、追立らているようにも感じました・・・Tet 前の風物詩ですね。2020年はもう来月には”年の瀬”ですね。1月が猛烈に忙しいパターンのTetです。
⑦ これも場所の記録が無いのですが・・・1998年です。普通に街で見る様子ですが右の女性は完全防備ですね。
⑧は比較的最近で、2010年。バイクでは更に体感は寒くなるでしょう。でも、まだ手袋をしていないから、まだ余裕がある時期ですね。

 

33) ハノイの街の写真 Part28

2019年12月07日

ハノイの街の写真 Part28 です。
①は、1999年 Hoan Kiem 湖畔です。カメラを首から下げた写真屋さんがたくさんいましたね。勝手に撮って後で買わせるのではなく、先にお客さんを捕まえて(失礼)お客さんの注文によって撮影してプリントして渡すというやり方でした。フィルムは最低12枚撮りでしたが、12枚撮りきらないと現像できないので、12枚1セットで撮影していたのか、次のお客さんが捕まるまでプリントを待たなくてはならなかったのか?疑問でした。これは今はいなくなりましたね。今は街中全員がカメラを持っている状態ですからね・・・。(先に勝手に撮って、後で買わせるという写真屋さんは、観光地にまだ存在するようですが・・・)
②も写真屋さんですが、これはお店を構えた写真屋さんですね。プリントの工程で ”水洗い” は大変重要な工程です。写真が将来退色してしまうかどうかは "水洗い" で決まると言っても過言ではありません。これだけ大きなサイズのプリントでは暗室に適当なシンクが無かったのでしょう。通りでホースを使って ”水洗い” です。写っている人が見ていなければいいか・・・。
③④は、”似顔絵”屋さんでしょうか。ちゃんとお店を構えて営業しています。③は1998年、④は2018年です。
⑤⑥は、Hoan Kiem湖畔の”似顔絵” 屋さんです。今は①のような写真屋さんはいませんが、”似顔絵” 屋さんは盛況です。⑤は2016年、⑥は2019年です。
⑦は1998年、休日夕方の Hang Gai 通り付近、⑧は1999年、場所の記録がありません。バイクがどんどん増えてきた頃です。でもバイクの価格は法定最低賃金の2年分くらいでした。バックミラーが自分だけを写す位置にあるのがおかしいですね。他のバイクと接触したりして傷にならないように・・・ですね。
⑨は2008年、Hang Gai 通り近辺です。どんな状況かわかりませんが何か嬉しそうです。
⑩は1998年、Hoan Kiem湖畔。昭和の昔の東京で、夏の夕方、夕涼みに通りに置いた縁台で将棋・・・そこに勝負に口出す”外野”が集まって来て・・・というような情景がありましたが、これもそんなところでしょうか?
⑪⑫は1998年、その頃よく見た街の様子。特に説明することが無いのですが、何となく懐かしいと感じる風景です。

34) ハノイの街のスナップ Part 29

2019年12月15日

ハノイの街のスナップ Part 29 です。
大体古い順で並べました。1998年、99年、2010年、13年、15年です。2010年のひとつのみデジタルカメラで、他はフィルムで撮った写真です。2013年と15年の写真も久々にフィルムカメラを持ち出して撮りましたが、2015年の写真は、フィルムが期限切れ直後で、色が正確に出ませんでした・・・。撮影の時の露出、現像や焼付の条件、銀塩写真のデリケートさと人間の作業の重要さを再認識です。(期限切れはもってのほかですが・・・)

①は、Hai Ba Trung 通り、1998年です。プラスチック製品を売っている人達ですね。この頃、プラスチック製の日用品は、国営の大きな会社が独占で製造をしていました。Hue 通りに直営店があったのを覚えています。この写真の背景に「Plastic ~ 」と書かれた看板があって、「だからみんな集まっているんだ~」と思いかけたのですが・・・これは”形成外科という意味ですね。ここでただ休憩してたのですね。同業者の情報交換といったところかも。
②は、Hoan Kiem 湖畔、”揚げパン” 売りの子たちですね。手をつないでおおらかに・・・でも表情が怖いです。突然撮ってごめんなさい。この後の表情は優しかったです。
③は、ちょっと郊外 Gia Lam の鉄道の踏切番の詰所で、1998年です。でもこの人たちの誰が踏切番の人でしょうか?ちなみに、この場所を通るハノイ~ハイフォン線はベトナム国鉄で、貨客合計で一番の輸送量だったそうです。
④ これも Gia Lam です。③の踏切から国道5号線を越えた向こう側です。現在ここにはとても大きなショーウィンドーを持ったカーディーラーのショールームになっています。
⑤は、またハノイに市街に戻り、1998年です。Le Thuong Kiet 通りから Hue 通りに曲がろうとしているところかと思います。自転車のタイヤを運んでいますね。でも何か怖い表情をしています・・・。
⑥は、Hang Dau 通り、1999年です。ここは、この頃も ”靴屋さん通り” で、休日は買い物客で混むところは今と変わりません。この写真のずっと左の方ですね、混むところは。
⑦は、2010年、Dinh Tien Hoang 通りです。2010年と言えば、Thang Long 1000年の年で、道路の上の横断幕にそれが記載されていますね。
⑧は、2013年、Trang Thi 通りと Ba Trieu 通りの交差点を臨んでいます。デジタルカメラの時代でしたが、フィルムで撮りました。日差しの強い日でも、ハノイの街路樹はこれだけ日差しを遮ってくれます・
⑨は、2015年、これもフィルムです。Dong Xuan 市場付近、場外市場的にお店が並んでいるところですね。
⑩も2015年、Trang Tien Plaza の前です。チャンティエンプラザは閑散としていますね。この頃、改装工事中で、確か、半年の予定が1年超に及んだかと思います。右に写っている建物とホーチミン主席が子供抱く絵は、チャンティエンプラザが国営百貨店だった頃も同じ姿で、現在も少しも変わらず綺麗に維持されています。

35) ハノイの街、変わった街の様子

2019年12月22日

ハノイの街、変わった街の様子のいくつかです。
①は、1995年、Phạm Ngọc Thạch 通りです。現在は、左の小さなお店が並んでいるあたりに、”Vincom Phạm Ngọc Thạch” が建っています。左手の奥に写る角がカーブしたデザインのアパートは、現在も存在します。多くの部屋が増築(超大型の”出窓”のような張り出しの部屋を作る増築)されていて外観は随分変わって見えますが、現在もたくさんの人が住んでいるようです。
②は、1995年、この踏切の写真は、左方向が、Xã Đàn通り、右方向がĐại Cổ Việt通り、写真の正面方向はLê Duẩn通りとThống Nhất公園の Bảy Mẫu湖が見えます。現在この踏切は大きなアンダーパスになりました。(この写真の踏切は、小規模になりましたが存在します。)
③は、②と一緒に撮った写真ですが、②の踏切をLê Duẩn通りからXã Đàn通りへ右折した時のすぐ右側です。このような衣類を売る小さなお店がたくさん並んでいました。今はこの写真から全然想像がつかないような大都会になっていますね。
④と⑤は、Hàng Gai,通り、1999年です。この賑やかさは今も変わりませんが、お店の多くは、主に外国人観光客に対する土産物屋さんになりました。
⑥は、1999年、右がすぐĐông Kinh Nghĩa Thục広場があるところで、Lê Thái Tổ通りの始まりのところです。写真屋さんとその前に露店の煙草屋さんがたくさんいました。現在、この場所にはハノイ市の観光案内所 (?) 的な施設があったかと思います。
⑦と⑧、Hàng Bài通りの”August Cinema" です。そう言えば ”Tháng 8" と建物に表示されていますね。⑦は1995年、⑧は2008年です。'90年代もアメリカの新しい映画も上映していたのですが、看板の絵が何とも言えないもので・・・何の映画かわかるまで時間がかかりました。
⑨と⑩は、Hoàn Kiếm湖北側のĐông Kinh Nghĩa Thục広場付近です。⑨は1999年、⑩は2018年です。写真の角度が違うのでわかり難いですが、中央に写っている建物は、同じ建物です。
⑪は、⑩の写真と同じ位置で後ろ側を見たもので、2019年です。最近はこの緑色のバイク、とてもよく見かけるようになりました。Xe ôm の進化系ですね・・・。
⑫と⑬は、Đông Kinh Nghĩa Thục広場付近、⑨の写真と反対側から撮っています。⑭はだいたい同じ角度で撮ったĐông Kinh Nghĩa Thục広場付近、2018年です。

36)ハノイの街のスナップ Part30 モノクロームでのハノイのPart 2

2019年12月29日

ハノイの街のスナップ Part30 モノクロームでのハノイのPart 2 です。モノクロ写真だから古い時代のものばかりでなく、①~⑥が1998~99年、⑦~⑪は2013年(⑧のみ2001年)です。

①②は本屋さんの外に特設されるカレンダー売り場と言うかカレンダー屋さんの賑わいです。今頃も同じような風景が見られますね。でも今は紙のカレンダーの需要は少なくなったでしょうか。
③~⑥も同じような寒い季節です。今年はハノイで冷え込んだとの話題を何度か聞きましたが、98、99年の冬は今よりもっと寒かったような記憶です。寒くても、これからテトまでが日本で言う”師走”、街は皆忙しそうで、ある種の熱気も感じました。
⑦は⑥に続いて何かを覗いていますが、一気に2013年の夏です。覗いているのはTrang Tien 通りの交差点のポリスボックスですね。イケメンの警官でもいたのかな?
⑧は、時期が戻ってしまって2001年、ロンビエン橋の上からYen Phu通りとロンビエン市場の交差点を見ています。一瞬ごちゃっとした感じですが、Yen Phu 通りの交通量の少なさに今さら驚きです。
⑨は、2013年のTrang Thi 通り、完全防備の姿です。そんなに”寒い日”か、と思いかけましたが、そうではなく、夏の日差しから守るための完全防備です。熱中症なんてなんのその・・・ですね。
⑩⑪も2013年で、Trang Tien 通り。⑪は何かも同じような写真を出しましたか、いつもなぜかカメラを向けてしまいます。そう言えば、原宿の竹下通りにも、同じような細かいものを所狭しと並べた宝箱ののようなお店がたくさんありますね。”宝”かどうかはお客さんの価値観で異なりますが・・・

37)ハノイの街、'90年代の写真

2019年12月31日

ハノイの街、'90年代の写真です。今回は、今年最後の日ですので、今までに投稿した写真で、私が特に好きなものを集めました。新規投稿の写真はありませんので、予めご承知おきください。⑫を除いて全て1997年~1999年のものです。

①は、私が最も好きな写真と言ってもよいかと思います。場所も私の好きなHoan Kiem 湖畔、天気が晴れならもっと良かったのですが・・・。
②は、”緑の首都ハノイ” を表現するのにいい写真と感じます。ジャングルか植物園か、というような深く茂った街路樹、これだけ緑の多い首都は他にあまり無いと思います。
③もHoan Kiem湖畔ですね。このふたりは喧嘩しているのかな?と、見えますが、そんなことはありませんでした。
④は、Dinh Tien Hoang 通り、遠くに、後にTrang Tien Plaza となる場所が見えます。ノン傘の下に見える笑顔が素敵ですね。
⑤は、またHoan Kiem 湖畔ですね。湖畔にしゃがんで楽しそうにお話しをする子たちが後ろ姿が可愛らしいのと、午後の陽の光が照らす水面と樹々の緑が綺麗です。
⑥は、Hang Gai 通りです。今も昔も賑やかなところですが、この写真の頃は自転車が幅を利かせています。この写真の4、5年前までは、ここに路面電車が走っていたそうです。
⑦は、Ba Trieu 通りであったかと思います。休日に買い物にでも繰り出す家族連れと言ったところですね。この子はは何を見つけたのでしょうか?
⑧は、”大教会” 近くのNha Tho 通りです。カメラに向かってポーズをとってくれているシクロのお兄さんが格好いいですね。コンプレッサーのようなものを運んでいる彼は、これから納品でしょうか?
⑨、Hai Ba Trung 通りだったと思います。これも”緑の首都ハノイ” と感じる情景です。後方に見えるバスは、”神戸市交通局” から譲渡されたバスですね。多分、ベトナム航空が、空港と市内の輸送に使っていたのだと思います。この頃は空港内の”ランプバス”も”神戸市交通局”の”新長田駅行き”のバスでした。
⑩は、またHoan Kiem湖付近でHang Dao 通りです。⑪は、Dong Xuan 市場付近です。この頃よく見られた活気ある街角の様子ですね。
⑫ これは、2001年、ハノイ市街から少し離れて、”焼き物”の街 Bat Trang です。
⑬、⑭は、更にハノイから離れて、Bac Ninh の Đông Hồ の近くですね。後方には、レンガ焼く窯の建物が見えますが、最近はあまり見なくなりましたね。

それでは、皆様、良いお年をお迎えください。来年も何卒宜しくお願い申し上げます。

38)ハノイの街の写真 Part31

2020年01月05日

ハノイの街の写真、Part31 ですが、Trang Tien 通りの、有名な "KEN TRANG TIEN" です。通りかかるとよく写真を撮っていたのですが、なかないいい写真がないのですが、見つけた写真を並べてみました。
①②③は、1998年です。看板の会社名が現在と異なります。同じ会社が改組して現在に至るのか、違う会社なのかは不明です。でも、この頃は”国営”のアイスクリーム屋さんでした。②でアイスの棒を箒で集めている人がいますが、これは再利用のためです。アイスを食べて人達の棒の捨て方は、”下に投げる”と言うのが正しい捨て方でした。③はずいぶん寒い日のようで、右に写る人は完全防備ですね。閑古鳥ですが営業中のようです。
④⑤は、2008年です。Trang Tien 通りの通行が妨げられるような・・・イベントでも行われているかのような賑わいです。
余計な事ですが、"BBQ Chiken" の看板が写っていますが、韓国系のファストフードのブランドですね。この頃、”怒涛の如く” 急激な出店をしていましたね。まさにこの言葉がぴったりの勢いでした。今はすっかり見なくなりましたが・・・何店舗かは存在するようです。
⑥はモノクロの写真ですが、2013年です。この奥に駐輪場があり、Trang Tien 通りにバイクが溢れることがなくなったようです。
⑦は最近で、2019年です。土曜日で”歩行者天国”の時間帯です。店の前のTrang Tien 通りは、子供の遊具で溢れるようになりました。①②③から20年、時代の大きな移り変わりを感じます。
今は、”KEM TRANG TIEN" ブランドのアイスクリームをスーパーマーケットで買うことができますね。また系列のカフェのチェーン店で食べることができたかと思います。有名ブランドのものと比べると価格が手頃なのですが・・・是非、有名ブランドに対して高いコスパを!! 頑張って!!

39) ハノイの街の写真 Part 32

2020年01月05日

連続の投稿ですが、ハノイの街の写真 Part 32です。

①②③は、4人乗りバイク3枚です。
①は、1998年、Ba Trieu 通りです。この家族の写真は何回か投稿しましたが、実はこの写真はいつものものの直前のカットで、女の子が立ち上がっているところですね。
②は、2011年Ngo Quyen 通りメトロポールホテルの前ですね。です。3人乗りに見えますが、大人と大人の間に挟まれながらもう一人子供が乗っています。
③は、2014年で、場所は記録がなくわかりません。Ha Dong の方であったかと思います。”休日に家族でどこかへ”、というよりお母さんが子供をどこかへ急いで送っているという感じに見えますね。このバイクは大型の高級バイクですね。子供3人載せても余裕に見えます。

④⑤はTrang Tien 通りです。
④は、2009年、左の緑の仮設の壁は、ここのビルが建て替え工事中ですね。この頃で車道の交通量はもうずいぶん多くなっていますが、歩道と道沿いのお店など、いまの賑わいと異なるようです。
⑤は、④とほぼ同じ場所で2019年です。ファッションモデルの撮影をしていたようで、写真に写っていませんが、左側にカメラマンがいました。

⑥⑦は、Hoan Kiem湖畔の、Dinh Tien Hoang 通りとHang Dau 通りが分かれるあたりです。⑥は1999年、⑦は2019年、この日は”歩行者天国”の日でした。

⑧~⑫は、1997年~2001年の街の写真です。
⑧は1997年、Hai Ba Trung 通り、”鍵屋さん”ですね。⑨は2001年、Trang Tien 通りから Nguyen Xi 通りに入ったところです。
⑩は1999年、場所は記録が無く・・・不明です。

⑪は Hoan Kiem湖北側の Dinh Liet 通り、1999年、⑫は、ほぼ同じ場所の2019年のショットです。

2020年 新年あけましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

40) ハノイの街の写真 Part 33

2020年01月12日

ハノイの街の写真、Part 33 です。
今回は、二枚を除いて1998~99年のもので、フィルムで撮影したものです。そう言えば、その頃は、中古の ”自動現像機” がたくさんベトナムに入ってきた頃で、1~2時間で現像からプリントまで手軽にできるようになった頃でした。日本でも45分でプリントまでできるお店がたくさんありましたが、それよりもだいぶ安価で手軽でした。但し、現像液の管理の良し悪しがあって、仕上がりの良し悪しもマチマチでしたが・・・。銀塩写真の長期保存に重要な現像時の”水洗い”処理もマチマチだったようで、20余年たった今、フィルムが”黄ばんで”しまったものが少なくありません・・・。現在は、フィルムをデジタル化した後に色の補正をするのは難しないのですが・・・20余年の間に変わった”写真”というものの重さをいろいろと感じます。

① これは、”お店”というより”通路”に”片手間”に商品を置いただけという感じですが、どこの通りにもあって、結構お客さんがいましたね。超ミニミニコンビニエンスストアーといったところでしょうか・・・。
② ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出していますが・・・果物が綺麗に積まれたディスプレーは素敵ですね。中途半端な数を買うと怒られそう・・・。
③ 路上の床屋さんと、カラフルで誰もいないお店、無造作に壁にペイントされた電話番号・・・この頃のハノイの街の”あるある”を集めたような写真ですね。この写真は、’90年代ではなく、2007年でした。この壁の電話番号は、壁の塗装屋さんの電話番号なんだそうですね。綺麗な壁にはこれが書かれてしまうと聞きました。・・・本当に?
④ ”大教会”の前の Nhà Thờ 通りです。現在と比べると大変長閑ですね。”大教会”の前の広場は子供の格好の遊び場でした。”軍”の車と思われる”四輪駆動車”も大変懐かしいですね。
⑤は、Trang Tien 通りです。お店が閉まると、その前にこのような露店がたくさん出ていました。ちょっと怪しい雰囲気ですが、この写真、まだ時間は早く、20:00前であったかと思います。そう言えば、東京の”銀座通り” も昔は、夜にたくさんの露店が並び、それをひやかしながら歩くのも”銀ブラ”の楽しみだったそうですね。”銀座通り”に”柳”の街路樹と”都電”があった大昔の話ですが・・・
⑥ Hom 市場、午前中の早朝ではない時間だったと思います。早朝の忙しさが一段落してホッとしているのか、客足が減ってくる時間で退屈しているのか・・・。
⑦は、これも市場ですが、場所は少々離れて Gia Lam です。ここでも肉が売られていますが、休日の午後でしたので、なんだか長閑です。この鶏肉は売れ残ってしまうので、また夕食用に売れるのでしょうか?でも、必要な時に必要な分をさばいていましたからその心配はないですね。この写真は1999年の香港での”鳥インフルエンザ”僧殿前です。
⑧は、またハノイに戻って、Hang Gai 通りです。これは、お店なんでしょうか?閉店しているお店の軒先を借りた露店なのでしょうか・・・着ている者の格好を見ると、このうちの人でしょうね。でも、この格好でバイクに乗っている人もよくいたので・・・。一人は”Tシャツ”屋さん?もう一人は”ショーケース”にある”ゲーム機”屋さん?
⑨もHang Gai 通りです。シルクや刺しゅうもののお店ですね。右の写真があられているボードも気になります。同じお店?それとも隣でしょうか?この辺はフランス統治時代から賑わっていましたので、建物は多くがその頃からのものでした。非常に天井が高い建物が多く、ドアや窓周りの飾りも含めて趣のあるお店も少なくなかったです。でもそれを活かしているところはあまり無かったですが・・・。
⑩、これもHang Gai 通りでした。時期がちょっと変わって2008年です。”野次馬”がこれよりたくさんいて、みんな静かに彼の仕事を見守っていたのが不思議な雰囲気でした。

41) グランドホテル メトロポール

2020年01月13日

今回は”番外編”で、”メトロポールホテル”です。何回も投稿していますので、新しい写真はなく、記載することも以前投稿した内容とあまり変わらないかも知れませんので、予めご承知おきいただけますと幸いです。

現在の正式名称は”ソフィテル レジェンド メトロポール ハノイ” という長い名前になっています。とても長い歴史のあるホテルです。Hoan Kiem 区、Ngo Quyen 通り15番にあります。
ハノイで、私が好きな場所の一つです。

開業は、フランス統治時代の1901年。日本の年号では明治34年です。Ngo Quyen 通りの旧館の建物は当時からの建物です。但し、後年に3階部分建て増ししているそうですので、若干デザインが異なるようですが、ほぼ当時の様子を残しています。

1954年にフランスが撤退した以降は、”トンニャット(統一)ホテル”と名前が変わり、国営ホテルになったそうです。参議院議員だった 故 田英夫さんが、TBSのニュースキャスターだった1967年に、西側メディアとして初めて”北ベトナム”に入り取材をされましたが、その際、ここを取材拠点とされていました。その著書に”トンニャットホテル”時代の様子が書かれています。そのなかに、ホテル滞在中に”空襲警報”が鳴り、中庭の”防空壕”に避難したお話が出てきます。2011年に中庭にある "Bamboo Bar" の改装工事の際、この”防空壕跡”が発見され、今は見学できるようになっています。

1992年に外国投資が解禁された際、いちはやくフランスの”ソフィテル”グループが投資をして”メトロポール”の名前に戻りました。

フランスの統治というのはベトナムの人達には複雑な歴史です。しかし、ハノイの街づくりや、今の”アオザイ”のスタイル、現在のベトナム語表記など、フランスが作って現代のベトナムの文化になっていますね。メトロポールも同じようにハノイの顔になっています。20世紀の初年から21世紀の現代ベトナムの発展まで、その間を見てきた建物と空間が今もそこに存在するところがワクワクするところです。

写真ですが、
①~④は、”旧館”と周辺です。①は2008年、②③は2017年、④は2009年の撮影です。
③は、メトロポールの前ですが、道路の向こう側に見える建物は、”労働・傷病兵・社会問題省(MOLISA)”です。この建物は、1800年代末に建てられたもので、当時、フランスのインドシナ半島統治の役所を置いたそうです。写真には写っていませんが、この建物の右の方に、”迎賓館”の建物があります。これは、その当時のフランス統治の責任者の公邸として建てられました。従って、Ngo Quyen 通りのこの付近から ”大劇場(Nha Hat Lon) ” にかけて、1900年前後の景色を今に伝えています。(”大劇場”の完成は1911年)
④のクラシックな”シトロエン”は、現在も稼働しています。市街観光に使われています。
⑤~⑦は”旧館”のエントランスです。⑤は2013年、⑥は2009年、⑦は2017年撮影です。中央部は3階まで吹き抜けになっており、大きなシャンデリアが下がっています。”ソフィテル”になってから開業当時の雰囲気に復元され、それが綺麗に維持されています。
⑧は”旧館”の裏の”中庭”を通る通路です。昨年、”米朝首脳会談”がハノイで行われた際、会談の場所がこのメトロポールでした。ニュースなどで、会談に向かう両首脳の姿がよく映りましたが、この写真の左付近の中庭を歩く光景でした。
⑨⑩は、メトロポール”旧館”前のウェディング写真の撮影風景です。みんな結婚式の前に写真を撮影して、結婚式当日にはアルバムが出来上がっていて、結婚式の出席者に見せます。ここは、その撮影に格好の場所で、日本で言う”大安”のような、”日が良い日” には、この写真のように撮影ラッシュです。(メトロポールは何ら関与しておらず、皆、勝手に撮っているのですが・・・。名所のようになったのでメトロポールも黙認しているようですね)
⑪は”旧館”のエントランス付近の外観。①②は外観がわかり難い写真だったので・・・。
⑫は、①と似た写真ですが2018年撮影です。6月の暑い日でしたが、夏にこんなに綺麗な青空は珍しいので撮りました。青い空と白い建物と樹の緑が綺麗で、なんてことのない写真ですが、私の好きな写真のひとつです。

⑫の後に、6つの画像を付けます。これは、”旧館”のロビー横に掲示されている ”メトロポール” の歴史を解説したパネルです。昨年やっと撮影しました・・・ご興味があればご覧いただければ、と思います。

以前の投稿と同じ話同じ写真で長々と失礼致しました。

42) ハノイの街の写真 Part 34

2020年01月18日

今回の写真は全て1998年、1999年のものです。

前回、当時のハノイでのフィルム写真の現像とプリントのことを記載しましたが、もうひとつ。フィルムの現像とともにプリントを頼みますね。日本では”同時プリント”という言い方をしていました。写真の内容にかかわらず、極端な ”露出不足” のような物理的にプリントできないもの以外のコマはすべてプリントするというものです。ハノイではなかなか全部をプリントしてくれません。物理的にプリントできないものでなくても何故かプリントしてくれません。訳を聞いてみると「そのコマは上手くない写真だから」と言われました。自分の写真の内容を評価されて・・・何だかなぁ・・・という気持ちで帰ったことがありました。あまりフィルムを使わなくなった2015年、久しぶりに現像とプリントを出してみたことがありました。取りに行ってみると、写真屋のおばちゃんが「写りが良くなかったから、プリントしないで待ってたのよ!こんなだけど、プリントしますか?」と言われました。確かに古いカメラで撮ったので、全コマ”露出不足”で若干暗い画像でした。結局、ちょっと急いでいたこともあり、スキャンしてPCでプリントすることもできるので、フィルムだけ受け取って帰りました。確認するために一応プリントしておいて欲しかったんだけど・・・。
昔の「上手くない写真だからプリントしない」というのも、この時の写真屋のおばちゃんも、少しでも客に”無駄な”お金を使わせないための配慮というかサービスだったのですね。その時々の客の都合は無視ですが・・・ここれはこれで、心憎い ”おもてなし” なのかも知れません。

さて、写真ですが、①~③は、Hoàn Kiếm 湖周辺です。②は Lê Thái Tổ 通りですが、結構な交通量ながら視界には2輪車しかありません。2人が運ぶのは”ココナッツ”の実でしょうか?③はNhà Chung 通りであったかと思います。背景にある”電話ボックス”ですが、ちょうどあちらこちらにできた頃でした。硬貨がありませんでしたので、全てカード式で、日本は”磁気カード”でしたが、こちらはICチップが入ったカードを郵便局で購入していましたね。
④は、Hue通りであったと思います。休日の昼前、交通量はそこそこありますが、平日の通勤時間と比べて、のんびりとした雰囲気ですね。天気が悪かったので画像は少々暗いけど。
⑤~⑦、⑤と⑥は、どこの通りであったか記録がなくわかりません。⑦は Tràng Tiền 通りです。これら皆、街でよく見た風景です。⑤で手を振ってくれていますが、この頃カメラを向けると、手を振ってくれたり、ポーズをとってくれることがよくありました。時々極端に嫌がられる時もありました。SNSが無い時代で、不特定多数の人達へ公開されるとか、肖像権とかではなく、”魂を抜かれる” 的な感情だったようです・・・。
⑧と⑨は、Hôm 市場(Chợ Hôm)です。料理に無頓着な私には、いつも賑やかで、街の写真のひとつとして興味深いところで、よく行っていました。後年、私の妻が日本から来て住み始めた時、すぐに街の市場に連れて行ったところ、大層な興味の持ち方で・・・実は ”食” の宝庫だったようです。
⑩は、カラオケとアートギャラリーと八百屋さんです。Tràng Thi 通りで、Bà Triệu 通りとの交差点付近です。今では賃料がとっても高いところだそうですね。
⑪は、Hàng Gai 通りです。”鍵屋さん”ですね。この写真、客が”うやうやしく” 仕事をお願いしてお許しを乞うているように見えますね・・・。それとも、この2人、立場が逆なのかな?

43) ハノイの街の写真 Part 35

2020年01月26日

ハノイの街の写真 Part 35 です。

本日(25/01)は、旧正月の元旦節 (Tết Nguyên Đán ) ですね。
新年おめでとうございます。皆様にとって新しい年が良い年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。

と、言っても、写真は新年にちなんだものがある訳ではありませんので、予めご承知おきください・・・。

さて、写真ですが、
①は、Long Biên 橋、2001年です。夏の最も暑い頃です。この橋は、ご存知のとおり、ハノイではとても長い歴史のある構築物のひとつで、フランス統治時代の1899年に着工、1902年開通です。ベトナム戦争中の爆撃で一部が破壊され、その部分の形状が原型と異なっています。建設されて70年弱で爆撃を受け、突貫工事で修復されてから50年、現在もなお現役です。同様なことで、日本の ”東京駅” 丸の内口駅舎を思い出しました。建設されて約30年後に爆撃を受け、突貫工事で修復されてから約65年間使われた後、原型の姿に修復され現在に至ります。Long Biên 橋も、ここ10年、架け替えの話が出ていますが、少々複雑な思いもあります。しかしながら、もう ”老朽化” も危険な域に達していますので、早く架け替えられるべきですね。
②、③は1998年、Huế 通りです。暑さも落ち着いてきた9~10月頃の写真です。でも、9~10月でも日本と比較するとまだまだ暑く、街路樹の緑もまだまだ元気な季節ですね。
④、⑤は、”旧市街” のどこかです。(すみません。記録と記憶がはっきりしません・・・)④は1999年、⑤2007年です。⑤のお店の ”ぬいぐるみ” の ”陳列”(?)は圧巻です。かなり古い建物に見えますが、二階部分は下の ”ぬいぐるみ” に支えられているのではないでしょうか・・・。
⑥は、2007年 Ngô Quyền 通りです。”強面”のシクロの運転手さんは、”Nón lá” 売りのお姉さん達の人気者?
⑦は、Hoàn Kiếm 湖から遠くない周辺のどこかの通りで、2008年です。(また記憶がはっきりせず・・・すみません)休日のお昼前ですが、結構な混雑です。現在と比較すると、まだ四輪車は少ないですが、この頃からどこも通りが混雑するようになってきました。でも、この活気のある雰囲気、ハノイの街の魅力のひとつではあります。
⑧、⑨は、Tràng Tiền 通り、2010年です。⑧は、以前、同じ日の別の写真を投稿したことがありますが、3月のある晩、霧が深くたちこめた日でした。いつもと同じ通りでも、いつもと異なった雰囲気の光で、夕食の帰りにあちこち写真を撮って歩いた覚えがあります。
⑩は、2009年。さぁ、この子たちの運命は・・・。いろいろと聞いた結果、みなさんの見解はペット用の犬猫ようです。この頃は、ペットで飼う人達が増えてきた頃ですね。後年は、特に犬は高級犬ばかり見るようになりましたが・・・。でも、毛足の長い寒い国の犬のハノイでの生活は厳しそうですね。せめて、”サマーカット” にしてあげてください・・・。
⑪、⑫は、大劇場 (Nhà Hát Lớn) 前のいわゆる ”八月革命広場” です。⑪は2007年、⑫は1995年です。大劇場の正面のフランス統治時代の百貨店の建物ですが、⑪は、現在の”証券取引所”のように見えますが、まだ建て直される前です。少々修復されて”お色直し”をされた直後の姿ですね。この数年後、完全に建て直されて、3階建てになりましたが、オリジナルの姿を再現した建物になりました。このような歴史のある建物が建て直される際、単に最新のデザインの建物を建てるのではなく、オリジナルの姿を残しつつ、新しい機能を持った建物を建設するというのは、東京丸の内でここ20年の間に建て直された歴史のあるビルと同じですね。東京もハノイもこの風潮は嬉しく思います。

44) ハノイの街の写真 Part 36

2020年02月01日

ハノイの街の写真 Part 36 です。
今回は、1つを除き、2007年以降の写真です。

①~③は、日差しの強い暑い日の風景ですね。
①と②は、2008年 Hue 通り、暑い日と思いましたが、日付を見ると11月でした。11月でも30℃になる日もあるので、暑い日だったのでしょう。でも、11月は40℃近くになることはありませんし、晴れた日は湿度も比較的低く、外を歩くには快適な日であったかと思います。ハノイを歩くならやっぱり11月です。(晴れれば・・・)こんな日差しの強い日の自転車には、”ノンラー” はやはり合理的ですね。③は、2007年、旧市街のどこか・・・で、これも真夏ではなく10月でした・・・。ちょうどお昼寝の時間のようですね。隣り合った”ライバル店”はお互いに ”足を向けて” 寝ています・・・。④は、2010年、Tràng Thi 通りです。これも日付を見ると10月でした。もう2010年頃になると、自転車はバイクに埋もれて ”辛うじて” 走っているという感じです。⑤は、ハノイ郵便局横の Đinh Lễ 通り、2007年です。後方はメトロポールホテルです。望遠レンズで撮っていますが、樹々の間に見える電線はさすがに凄い数ですね・・・。この後、ハノイ市街の電線を”何とかする”という計画が打ち出されて、いくつかの通りでは、精力的に地中に埋められていましたが、その後はあまり進んでいないようですね。ベトナムで電線のコストは大変高額と聞きます。地中に埋めるかどうかは別として、整理するだけでもいろんなメリットがあるかと思うのですが・・・。⑥は、その近く、Tràng Tiền プラザの横、2007年です。一方通行の広い道、信号待ちの壮観な風景です。昔の日本の言葉では、”モータリゼーションの進展” と言ったような風景です。現在は自動車がもっと”ハバ”を利かせていますね。⑦以降は、大劇場 (Nhà Hát Lớn) 付近です。⑦は1999年、右奥に見える "ヒルトンハノイオペラ” の建設工事が最終段階です。右手前は、フランス統治時代に、フランス人向けの ”百貨店” として建てられた建物で、この写真の頃は ”国営” の電器屋さんになっていました。⑧⑨⑩は同じ場所で、⑧⑨は2019年、⑩は2017年です。角の国営の電器屋さんは、立てもを建て替えられて、”証券取引所”になりました。オリジナルの雰囲気をよく残しながら、2階建てだった建物が3階建てになっています。⑪は、2010年。似たような写真を何回も取っていますが、ここから望遠レンズで撮る大劇場はとても ”雄大” に見えます。2010年ですので、”タンロン遷都1000年祭” の看板が見えますね。⑫は2007年、自分の自転車の荷台を見ている彼の表情は、積み荷の様子に ”ご満悦” なのか、何かに驚いているのでしょうか?

45) ハノイの街の写真 Part 37

街の普段のなんて事のない風景です・・・。

①は、1995年 Phạm Ngọc Thạch 通り、平日朝の通勤ラッシュ風景です。視界に入るのは全て二輪車で、ラッシュと言ってもこの頃はまだまだスムーズは走りですね。写真の左の方、道端に止まっている小さなバイクは、HONDA Chaly ですね。50cc または 70cc のモデルで、比較的安価なバイクでしたので、この頃は街でとてもよく見かけました。左の建物は公務員官舎(この頃は皆公務員ですが・・・)ですね。’90年代初め頃まで在越日本国大使館この辺の公務員官舎の建物にあったそうです。
②は、’98年頃、Hue通りです。この広い幅の道を、大きな街路樹の緑の下、二輪車で我が物顔に走るのは、さぞ気持ちよかったことと思います。
③は、’98年、場所は記録が無くはっきりしませんが、Hoàn Kiếm 湖から遠くないところかと思います。冬の一番寒い頃のようですね。背景には、"Photocopy" や "FUJIFILM" の看板が見えます。前者は中古のコピー機を2,3台置いたコピー屋さん。後者は、中古の自動現像処理機を置いた写真DPE屋さんです。(DPEは死語ですね・・・)この頃、”雨後の筍”といった感じで、どんどん増えていました。
④は、今でも ”靴屋さん” が軒を連ねる Hàng Dầu 通り、’99年です。日曜日の午後の様子ですが、大変な賑わいですね。現在もここの賑わいは衰えません。
⑤は、’99年、Tràng Tiền 通りと Ngô Quyền 通りの交差点です。自転車二人乗りのこの乗り方・・・皆この乗り方をしていましたが、日本人には珍しかったですね。後ろの人が漕ぐ方が、足が伸びて楽なんでしょうかね?背景にある黄色の看板は、KODAK 系のDPE屋さんです。
⑥は、'98年、場所は・・・またはっきりしないのですが、背景の "おもちゃ屋さん” から考えると、Hàng Gai 通りに交差するどれかの通りかと思います。この頃のシクロは観光用ではなく、庶民のタクシーでした。カメラを持って歩いていると、「撮れ、撮れ」とよく声をかけられました・・・撮っても写真をあげられるわけでもないのに・・・時々、顔見知りで、後日写真を渡して、とっても喜ばれたこともありました。
⑦は、以前も同じような写真を投稿したことがありましたが、小学生の遠足のようですね。'98年頃です。バスに酔う子も多かったですし、事前にパンが配られていたようですので、みんなお菓子をなかなか買ってくれませんね。この写真の直前、みんなの乗車風景が驚きでした。みんな一斉にドアから、窓から乗り込んで、”一瞬”で全員乗車してしまいました・・・。
⑧は、10年ほど後年になって、バイクのヘルメット ”義務化” 直後の2008年です。それよりも女性の髪の色が変わりましたね。視線をもっと上にしてみると、電線の凄いこと・・・髪の如く束ねられています・・・。”乱雑に張られた電線は空のゴミ” と、ハノイ市で問題になって、地中化が決められたのが、この翌年の2009年であったかと思います。
⑨は、フィルムで撮ったものですが比較的最近で、2013年の Cầu Gỗ 通りです。このお店、木材主体の外装、内装で、この雰囲気を綺麗な色で撮りたかったのですが、フィルムの保存が・・・、高温多湿のところに放置していたので、綺麗な色が出ませんでした。
⑩は、今回唯一の”デジカメ”で撮った写真です。Hàng Gai 通りであったかと思います。2009年です。比較的珍しい若者のシクロ運転手、若干厳しい顔でダッシュです。