おしん

  皆さんご存知のNHKの”朝ドラ”、”連続テレビ小説”ですね。1983年4月から1984年3月まで放送されていました。通常半年のNHK”朝ドラ”の中では比較的珍しい1年間の放送でした。ベトナムでは1994年に放送され。放送時間には街中の人出がまばらになると言われるほど、大人気の番組であったそうです。出演者一人一人に声優が配された “吹替” であったそうで、その当時には珍しく豪華なつくりでした。”珍しく?” 普通それは当たり前・・・なのですが、当時のベトナムでの “吹替” は、一人がすべての役を吹き替えるのが普通でした。無声映画時代の ”弁士” ですね。昔の ”弁士” のようにセリフに抑揚をつけたものではなく、一人のナレーターが淡々と棒読み的に吹き替えていました。(タイトルや出演者名のテロップまで読み上げていたのは微笑ましかったのですが・・・。)

  余計な話ですが、1995年の秋、ファッションデザイナーの山本寛斎さんのファッションショー、”ハロー!!ベトナム” が、トンニャット (Thống Nhất) 公園のバイマウ (Bảy Mẫu) 湖で大々的に行われました。(バイマウ湖の水上の1/3くらいの面積に木製の大きなステージを作りました。)そこに ”おしん” の幼少期を演じた小林綾子さんが招かれていましたが、そのスピーチを ”おしん” のベトナムの放送で小林綾子さんを吹き替えた声優が通訳(というかその場で吹替)をして、大変な盛り上がりでした。当時私も500メートルくらい離れたところのホテルでTV中継を見ていましたが、小林綾子さん登場の時の大盛り上がりはTVからも外からも大きく聞こえたことをよく覚えています。

  1994年、”おしん” が放送されていたころのベトナムは、国際的にはまだ ”最貧国” と言われていましたが、将来への発展の可能性を国民が徐々に感じるようになり始めた頃かも知れません。(でも法定最低賃金は、外資系でUS$45/月、国内企業はUS$10/月くらいでした)”おしん” と言えば、貧しい農村の少女が ”口減らし” に奉公に出され、いろいろな苦労をしながら強く育って成功するというお話でしたが、それまでいろいろな苦労をしてきたベトナムの人達から強い共感を得たと聞きます。また、日本人のイメージ、特に日本の女性の良いイメージに拍車をかけたと言われていますね。そう言えば、その頃、ハノイで見かける ”TOSHIBA(東芝)”の看板にはイメージキャラクターとして ”おしん” のイラストが描かれていました。

  それが今は、”おしん” と言えば、”お手伝いさん” とか ”家政婦” とかの意味で言われるそうですね。豊かになりましたね。何年か前、会社での事ですが、(とてもお恥ずかしい話ですが・・・)床掃除をしていた新人の社員が、雑巾を足で使って拭き掃除(の真似事)をしていました。手でやっていた社員もいましたが、雑巾を畳まず端をちょっと掴んで床で雑巾を少し動かして拭き掃除(の真似事)をしていました。そこに私が通りかかり、「こうやってやるんだ!」 と雑巾をたたんで膝をついて手で拭き方を見せました。まわりに数人、立って私を見下ろしながらその様子を見ていましたが・・・そのうち “おしんだ~” と、かったるい声が聞こえました。要は 「おしん”のような事を私はしたくない!」 ということだそうです。この子たちは “おしん” がベトナムで放送された頃に生まれた子たちですね。それから20余年の後、国民の生活は大変豊かになりました。勿論、豊かになることは大変良い事です。でも、“おしん” に対するイメージ、この20年の間の大きな違い・・・、豊かになるだけでなく長年に渡って大きな苦労をしながらもベトナムの “独立” を守ってきた先人の意識を忘れないで欲しいと感じます。ベトナムの人の優れた気質が失われていくのでは?と少々危惧します。

2019年01月16日