ハノイの市街あれこれ ①

(1) 1999年のHai Ba Trung 通りです

  今でもよくみかけますが、今はこんなに余裕の姿で乗ることは難しいかも知れないですね。この写真の家族はバランスよく綺麗に乗っていますね。

  バイクは何人乗りまでOKか?いろいろ聞いてみても正しい答えがわかりません・・・結局、2人乗りまでOKで、子供ゼロカウントということのようなのですが・・・。 街路樹や公園の樹木の幹の下の方を白く塗ってある理由と同じく正しい答えがわかりにくい例のひとつです。

 

(2) 旧日本大使公邸

  Ba Trieu 通りの半ばくらいのところ、Hoan Kiem 湖を背にして走ると右側にあります。現在の日本大使公邸は Lieu Guai の大使館と同じ敷地にありますが、1998年までこの写真の建物が大使公邸でした。訪問者の車はこの建物の前の路上に置くしかなく、誰が来ているかわかりやすいものでした。ちなみに車の外交官ナンバーの "NG" ナンバーは国ごとの番号がふられていて、その番号でどこの国の外交官のものかわかります。日本大使公邸移転後から現在までこの建物は韓国の何かの機関で使われています。この公邸の最後の大使は第9代鈴木勝也大使でした。「大使閣下の料理人」というエッセイと漫画がありましたが、原作者は鈴木大使の料理人であったそうで、この大使公邸でも仕事をされていたのだと思います。

 

(3) 2018年のハノイ市街の空からの画像です

  ノイバイ空港からベトナム中部へ向かう国内線の飛行機の窓から撮りました。もう一つGoogle Earthからの画像を付けましたが、この角度からのハノイ市街全景です。中部から南部に向かう飛行機はいつもこの辺を通るのですが、ハノイは雲が多く滅多に地上の様子を見ることが出来ないのですが、この日は珍しく快晴でした。よく見るとホアンキエム湖も、ホーチミン廟も見えますね。 Keangnam やロッテタワーはよくわかりますね。

  この日は快晴でしたが、ハノイの上空はこんなに視界がクリアな日は珍しいですね。いつも東京から晴れの日にフライトしてくると、富士山が良く見えて、その後ほぼ全行程、地上や海上が見えていることは珍しくないですね。でも、ハノイに近づき高度を下げてくる頃、明るい空からどんどん雲の中に下って行き雲の下に出ると、どんよりした曇りや雨という天気であることが珍しくないですね。ハノイ付近、なんかいつも大気が滞留しているように感じます。周辺の地形や大陸内部方面から大気の流れなどに影響されるのかと思いますが、ハノイの湿度の高さはこの状況からの宿命なのかもしれませんね。

 

(4) ハノイの街の電線です

  ご存知、ハノイ市街に張り巡らされた電線です。張り巡らしたくてやっている訳ではないと思いますが・・・。「あんなにたくさん絡んでいて何の電線だかよくわかるねぇ」 とよく言われていますが、実際はやっぱりわからないのだそうです。だから何かあると、新しい電線を張るのだそうです。だから結局あんなふうになってしまうのですね。以前日系の通信系の会社の方が言っていたことがありましたが、お客さんをハノイの街に案内に連れていくと、「うちのデータもあの電線を通るのですか・・・」 と言って絶句されてしまうと。電線の工事をやると、他人のうちの電話がかかってくることもあったり・・・、はい混線ですね。でも、苦情を言うとすぐ直るのだそうです。意外に把握できるんですね。盗聴しているから?・・・なぁんてね。盗電はよくあるそうです。簡単に自分で勝手につないでしまうやり方、電気メーターをゆっくり回るように改造するやり方 等々。最近停電が少なくなりましたが、電力が足りないと言われるまだまだ以前の頃、夕立で大雨が降るとよく停電しました。道を車で走っていると、右は停電、左は電気が点いているということがよくありました。あの電線の状況や、盗電のための未知の配線などのため、危ないので給電を切ってしまうんだそうです。ですから、街での感電のリスクは高いようです。大雨で道路が冠水したとき、そのまま水に入っていく人も少なくないですが、勿論衛生面でのリスクがありますが、意外に気が付かないのが感電のリスクです。ハノイのローカルのニュースでは、感電死の事故のニュースをよく見るようです。ごく最近では冠水する道はとても少なくなりましたし、電線の状況も徐々に改善されてきていますので、リスクは小さくなってきていると思います。ここ5年、ハノイの排水はとてもよく改善されていると思います。(道路の冠水は、今や東京の方が”ゲリラ豪雨”に対応できていません。)

  電線に話を戻すと、2012年頃でしたか、ハノイ市で 「乱雑な電線の状況は空のゴミ」 と問題視され、主だった通りで電線の地中化が決められました。Kim Ma 通りなどは、精力的に進められました。オレンジ色の樹脂製のチューブに電線を入れて埋められ、数百メートルおきの地上に接続ポイントが設けられていました。日本のパーキングメーターを大きくしたようなものが歩道に立っていますが、これが接続ポイントです。この作業中に感電死した作業員がいて、ちょっと工事が止まりました。そして、いつしか終わってしまって、大々的にやったのは Kim Ma通りくらいの印象です。でも、ミーディンなどの新しい道は、最初から地中に埋められるのが普通となりました。

  因みにミーディン地区、1990年代は自動車で行く道がないような広大な農地というか原っぱというかというようなところで、ノイバイ空港からハノイ市内に向かって走ると、国家大学やインドチャイナがある交差点は丁字路で、ミーディン方向には道も何も無くただ広大な平原が広がっているという感じでした。東京で約50年前、新宿に広大な浄水場があって、そこを開発してビル街ができ、副都心になった、というのと何か似ている気がします。


2018年10月01日