1995年ベトナム航空 ノイバイ空港着陸の様子

  1995年ベトナム航空 ノイバイ空港着陸の様子の動画です。香港発のベトナム航空のエアバスA320型機で、ノイバイ空港へ着陸するときのものです。通路側の席から勿論シートベルトをしっかり締めた状態で撮りました。

  この頃はおおらかな時代で、飛行中、コックピットのドアが開けられたままのことが多かったです。(ほかの航空会社でも機長が許せばコックピットの見学ができた時代でした。)機長がフランス人と思われる西洋人で、副操縦士がベトナム人であることが多かったように思います。(ただ2人とも ”四本線” でしたので、資格は ”機長” ですね。)巡行中は膝にマニュアルのようなものを広げて機長が副操縦士にレクチャーしているような様子を見かけたことがあります。A320とボーイング767がベトナム航空初の西側の航空機であったと思います。(旧南ベトナムにあった ”エアベトナム” 別です。かつて”エアベトナム”はボーイング707とボーイング727を所有し日本にも就航していました。)A320はエールフランスからの”ウェットリース”(乗員込みのリース)であったかと思います。(シートベルトのバックルにエールフランスのロゴを見つけたことがありました・・・。)

  この頃に台湾行きに搭乗した事がありました。ベトナム語のアナウンスの後、北京語でアナウンスがあるのですが、その日は北京語ができる乗員がいなかったようで、乗客の一人に頼んで北京語のアナウンスの原稿を読んでもらっていたのを見たことがあります。ちょっと微笑ましい光景でした。

  この頃、ベトナム航空のスチュワーデス(今の "CA" キャビンアテンダント)のユニフォームは、薄いピンク色のアオザイでした。ある時気が付いたのですが、ピンクの色の濃さが人によって若干異なり、全部で3種類くらいあったように思いました。役職などで色をかえているのかなぁ?などと思って、チャンスがある都度いろいろな人に聞いてみたのですが、どうもそんなことはないようでした。乗員はノイバイ空港に着くと、ベトナム航空のバスで本社へ行きます。ベトナム航空の本社は、現在の ”イオンモール” の近くにあるかつての国際空港の ”ザーラム空港” の近くにあります。現在も同じです。本社からは各々自分の足で家に帰ります。よくCAの彼氏が本社に迎えに来て、彼氏のバイクの後ろにまたがって帰宅する様子を街中で見ました。CAのユニフォームのまま。時には突然の夕立にびしょぬれになりながら・・・。

  このCAのユニフォームの色の違いについて、あとでなんとなく思うところがありました。私は工場で仕事をしていましたが、工場の作業服は勿論規定のものを決めてそれを貸与しているのですが、増員などに応じて追加の発注する時、色が少し変わってくることがありました。日系の会社では普通色が違う作業着などは受け入れません。業者に注文を付けると、ついに、若干色の違う生地をたくさん持ってきて、「どうしても手に入らないからこの中から選んで」 とお願いに来られたことがありました。この頃、縫製ではベトナムが世界を席巻しようとするちょっと前くらいでしたが、ベトナムは生地を作ることができず、基本的に輸入するしかありませんでした。従って、同じ生地が安定して手に入り難かったようです。あぁ、ベトナム航空のスチュワーデスのユニフォームもこういうことだったのね。確かめたことはありませんでしたが、そう思うのに十分な ”微妙な” 違いでした。

  ベトナムは原材料や素材を造ることが弱く、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)にベトナムが手を上げた時、アメリカから、素材を造り出す力が不足と注文を付けられたことがありました。資源があってもそれを製品にできない例が多くありました。例えば石油、良質な原油が出ますが精製ができず、良質の原油を安く輸出し、ガソリンなど精製品であまり質の高くないものを高価で輸入していた時代が長く続きました。今、やっと日本の援助で立派な製油所が稼働しようとしています。

  3~4年前に新しくなったベトナム航空のユニフォームは、とても品のあるデザインで良質な造りで大変評価が高いと聞きます。新鋭機をいち早く導入し、2016年には”四つ星”エアラインになりました。でも乗員はいまでもフレンドリーで、慣れた人にとって機内はいろんな意味で心地の良い空間と言えるかも知れません。それからあまり話題になりませんが、実はベトナム航空は過去とても事故が少ない航空会社です。

2018年11月05日