1995年のハノイ市街夕方の様子

  1995年のハノイ市街夕方の様子です。(当時8ミリビデオカメラで撮っているので画質が悪いですが・・・)この動画は、Dien Bien Phu 通りからTho Nhuom 通りを経て、”ホアロー収容所”跡の前くらいで終わっています。

  この動画は、夕方17:00頃で夕方の帰宅ラッシュの頃です。空港からホテルに向かう道中で撮影しました。この頃日本から来る時、香港経由でハノイに入ることが多かったです。(まだ直行便はありません。)香港からハノイ着が14:55、イミグレでとっても時間がかかって、16:30頃に空港を出発していました。空港からハノイ市街のホテルまでは、現在ほど道が混んでいませんでしたので、だいたい40分くらいで着いたと思います。ホテルがまだあまりありませんでしたので、ミニホテルにUS$80~100/泊で泊まっていました。街に自転車がとても多いですね。ノン傘を被った人が自転車に乗る姿は、この頃のベトナムのイメージであったかも知れません。(1996年にキャセイパシフィック航空がCIをした時、同時に各就航地のイメージ図を作りましたが、やはりベトナムはノン傘を被って自転車に乗る人の絵でした。)

  この頃、よくクラクションを鳴らしていました。今は本当に鳴らさなくなりましたね。でも日本と比べるとハノイはクラクションがうるさいと感じる方も少なくないと思いますが、本当に以前よりとっても鳴らさなくなりました。だって、この頃はクラクションが聞こえない瞬間はほぼありませんでした。(東京も1960年代の記録映像や映画を見るとすごくクラクションを鳴らしていましたね。)

  ”ホアロー収容所”は、建物が解体されハノイタワーのビルの建設が始まる前の様子が映っています。首都の中心地近くに広い土地が必要な刑務所があって、都市の発展とともに移転、跡地に高層ビルが建つ・・・池袋の ”サンシャイン60" と同じですね。ご存知のとおり、池袋の ”サンシャイン60” 当時日本最高の階数の高層ビルで、”巣鴨刑務所” が ”小菅刑務所” に移転した跡地ですね。言わずと知れた東京裁判での”巣鴨プリズン”です。ハノイタワーはハノイで最初の高層ビルでした。因みに以前は "ハノイホテル" の11階建(現在のハノイホテル旧館)が最高階数であったそうで、ハノイの人達は、”ハノイホテル”のことを ”11階ホテル” と呼んでいたそうです。1994年に村山富市総理大臣(当時)がハノイを訪問した際には、”ハノイホテル” に宿泊されました。

  ”ホアロー収容所”はベトナム戦争中、米兵の捕虜が収容されていました。先日亡くなったアメリカ合衆国共和党上院議員のマケインさんが5年間収容されていた事は有名ですね。米軍は爆撃の際にピンポイントでここを避けることにしていたと言われています。米軍は”ホアロー収容所”のことを”ハノイ・ヒルトン”と呼んでいたそうです。1999年、本物のヒルトンホテルができました。大劇場のとなりの ”ヒルトン・ハノイ・オペラ” です。

2018年11月04日