“アオザイ” と いろいろ

 
  白いアオザイの写真は、”文廟” で撮らせてもらった学生達です。卒業の記念写真を”文廟” で撮っている学生達はとても多いですね。”文廟”の横を通る時、一年中、休日には記念写真の学生で溢れているような気がします。卒業前だけど、卒業証書を入れるものを手にして・・・。

  アオザイは言わずと知れたベトナムの民族衣装です。現在のスタイルのアオザイは、本当は北部の特に冬の気候には合わないですね。現在のアオザイのスタイルはフランス統治時代にフランスの人によって改造されたスタイルとのことで、きっと南部の気候を想定したものなのでしょうね。ハノイの冬には、このスタイルそのままではちょっと寒いようで、アオザイをユニフォームにしているサービス業などでは、アオザイの上に普通のジャケットを着てしまっている姿をよく見ます・・・。10℃を切ることがあるハノイの冬に 「ジャケットを着るな」 というのは可哀そうなのですが、あの姿はなんとも格好が悪い・・・残念です。アオザイを着た女性はとても美しいのですが、それにジャケットを着た時の違和感は、やはり北部向けのスタイルではないなと感じてしまいます。ベトナム航空のCAのユニフォームはアオザイですが、最近のものはアオザイと一緒にデザインされた上着が用意されていました。特に北部向けにはそのように上着が一緒にデザインされた新しいものを作るべきですね。

  20年くらい前、ハノイの高校生は、週3回アオザイで登校する日が決められていました。通学時間の街はまだ今程の混雑でありませんでしたので、緑の街路樹の下を、白いアオザイを着たたくさんの高校生が自転車に乗って並んで走る姿は、大変美しい街の風景でした。その後、交通事情が悪くなってきて、 「アオザイであの中を走るのは危険」 と、アオザイでの登校日は無くなりました。始業式など式典のある日のみのようです。式典の日の高校の前はあの頃の朝の風景のような白いアオザイの女子学生に溢れています。(男子学生は・・・?勿論います。でもアオザイの女子学生のインパクトに埋もれてしまっています・・・。)交通事情が厳しくなかった地方の都市ではしばらくは続いたようですが、今はもう無いようですね。でも、2016年頃、ホーチミン市はアオザイでの通学の義務化 (?) を決めたとのニュースを聞いた覚えがありますが、そう言えばその後はどうなったのでしょうか。

  高校生の通学と言えば、バイクで学校に向かう高校生を見かけることがありますが、高校生のバイクでの通学は国の規程で禁止です。 “電動自転車” で通学する高校生は、これは禁止ではありません。規則の抜け穴・・・ですね。今はどこでも “電動自転車” を見ますが、学校まで距離のある地方都市では、みんな ”電動自転車” で通学しているような感じです。“電動バイク” と言いたくなりますが、“自転車” のカテゴリーのようで、免許は要りません。(初期のモデルはちゃんとペダルも付いていました。)でも近年 “電動自転車” でもヘルメットは義務となりました。”YAMAHA” とか ”HONDA” とかのブランド名が付いている“電動自転車” を見ますが、ヤマハでもホンダでもあのような “電動自転車” は製造・販売はしていないそうです・・・。みんなそれを知っているのかな・・・?最近は、日系企業で “電動自転車” の製造・販売を目的にベトナムに投資する企業もでてきましたので、今後、安全で品質や耐久性の良い “電動自転車” が増えてくることでしょう。大気汚染が深刻なハノイなどでは、将来へ良い傾向かも知れません。

  話がそれてしまいました・・・。アオザイでしたね。アオザイは、”長い着物” という意味で元々男性用と女性用の両方がありました。女性用は前述したとおりフランス統治時代に今のスタイルになりましたが、それ以前のアオザイは、日本の和服に近い雰囲気と言ってよいかと思います。現在、男性はアオザイを普段で着ることはありませんが、儀式などで伝統衣装として着用される時があり、そんな時に古来のアオザイを見ることができます。

  会社の女性従業員が、会社の研修で日本の工場へ行く時など、必要はないのですが必ずアオザイを持っていっているようです。日本人も女性は昔、海外に行く時に和服を持って行きましたね。伝統的民族衣装は自国のアイデンティティなのですね。

  ベトナムのフラッグキャリア “ベトナム航空” のCAのユニフォームもアオザイをデザインしたものですが、“Hàng không Việt Nam” から “Vietnam Airlines” と名乗るようになった1990年代はじめ頃は(現在もベトナム語の正式名称は “Hãng hàng không Quốc gia Việt Nam” ですが。)、もっとシンプルなピンク色のアオザイでした。この “ピンク色” 微妙に何種類か色のバリエーションがあって、「役職によって色を変えているのかなぁ?」 と思いました。例えば、チーフパーサーとかパーサーというように。でも、 「それにしては微妙な違いでわかりにくいなぁ」 とも思っていました。その後、私の会社で、作業着を制定して制服業者で作って、従業員へ支給(貸与)し始めたのですが、しばらくして、増員した分をあらたに業者へ注文した時、微妙に色が違って・・・。業者にクレームを入れると、次の注文の時に、同じような色で微妙に色の違う、けど最初のものと違う色の小さな布の切れ端を何種類か持ってきて、「このなかから選んでくれ」 と???。要は最初のものと同じ色の生地が手に入らず、似た色から選んでくれということでした。会社の制服の色がロットによって色が違うとは制服として許しがたいことですね。突っ返すと、最後は”泣き”が入り、渋々受け入れざるを得ないことに・・・。何年かたって、仕方なく制服をリニューアルをしましたが、この業者に予め2~3年分の生地を用意させて、倉庫に視察に行ったことがありました。この業者は当時ベトナムで大きな国営のユニフォームメーカーだったのですが。結局このような大手の会社でも市場に生地を買い出しに行くのだそうです。(でもここが一番安かったので、文句を言いながらも使い続けたのですが・・・)なるほど、ベトナム航空のCAのユニフォームも、そういうことか !! と、色の微妙な違いに納得した次第です。

  ベトナムは、素材を造る技術やそのためのインフラが無いのですね。現在では、外資系の会社で素材を造るところも出てきましたが、ベトナム独自では、あの頃とあまり変わっていないようです。ベトナムが ”TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に手を挙げた時、アメリカがベトナムに対して、素材や原材料を産出することに遅れていることを問題視したことがありましたね。

  また話がそれてしました・・・。アオザイを作る時、20箇所くらい採寸をすることはご存知のとおりですが、体にぴったり合わせないと格好が悪いのですね。1967年にTBSのニュース番組のキャスターだった田英夫さんがハノイを取材した時のレポートに、国営百貨店でのレポートがありましたが、女性は、普段着のブラウスなどでも採寸してぴったりに合わせて作ったり、自分で直したりということを言っていたかと思います。戦争中の厳しい時代でも最低の身だしなみであったのでしょう。会社の作業着も、特に女性は支給した後に自分でぴったりのサイズに直して着ていました。貸与しているものなんだけど・・・。作業的にはサイズが大きいのは危険、あんまりぴったりなのもしっかり作業ができるか・・・どっちもどっちですが・・・。女性はみんな ”針仕事” はとても上手でした。(最近は以前ほど自分で直さなくなってきたようですが・・・)

  日本も昔は 誰でも ”針仕事” は上手でしたね。”ものづくり” に関して、ベトナム人と日本人の似た資質を感じます。細かいところについては様々な意見があると思いますが・・・。これに託けて、ベトナムに日本式の ”技能検定” が国家検定として認定されたことをご存知でしょうか? 日本のJICAが技能者育成のプロジェクトを進めたり、その中で専門家を派遣したりして、日本式技能検定の実施体制整備の支援をし、2018年6月に”旋盤”と”フライス盤”の技能検定がベトナムの ”国家検定” になりました。素材や原材料産出の能力の問題もありますが、まず、“ものづくり” の “力” さらに伸ばして世界でのベトナムの競争力となればと切望するところです。その客観的な基準となる “日本式” の “技能検定” がベトナムの人達にもっと深く認知されて活用されることを願います。

  写真ですが、白いアオザイの学生の写真の他、色とりどりのアオザイの人達の写真はちょっと古くて1999年にBa Dinh 広場で撮ったものです。背景にベトナム国会の以前の建物が写っていますね。それと同じ人たちでもう一枚、これはホーチミン廟の後ろの庭園です。  それからイラストを一つ。これはベトナム航空のCAのユニフォームの変遷です。ベトナム航空のサイトでやっと見つけました・・・ので、拝借しました。1994~1999のものが例のピンク色のものですね。そして1992~1994の青色のものは、現在でも、ベトナム航空のグランドスタッフや支店職員、空港会社の職員のユニフォームとして使われていますね。

2019年03月12日