Noi Bai 空港

ベトナムの首都ハノイの玄関口 “ノイバイ国際空港” です。手元にある写真をもとに懐かしい話、他。
まず①~④はターミナルの様子です。

 ① は1999年、出発ターミナルです。左奥に写っている上方が前に傾いているデザインの建物が “国際線出発ターミナル” 、手前が “国内線出発ターミナル” です。建物の中には航空券を持った人しか入ることが出来ず、見送りの人はチェックインカウンターまで行くことが出来ませんでした。従って、飛行機に初めて乗る人などは見送りの人の助けを得ることができませんでした。私も研修生などを見送りに行って遠巻きに見ながら心配をしていたことがありました。(まぁ研修生は私と違って、ベトナム語で言葉が通じるので、あまり心配をする必要が無かったのですが・・・)この頃は日本への直行便はなく、香港経由が多かったです。(他に台湾経由という方法もありました。)東京までチェックインすると、香港~東京間の搭乗券はカウンターでは発券できなかったようで、自分の名前が入って既に席も決まっている搭乗券が用意されていました。つまり、香港→東京間は希望の席を選ぶことは出来ないということですね。(いつも香港で希望の席に換えていましたけど・・・)出発ロビーの建物は中央が2階くらいの高さまでの “吹き抜け”。 周りに2階部分があり、そこに航空会社のオフィスが並んでいました。香港→東京の搭乗券は航空会社オフィスの発券機で予め発券していたようです。(席が取れない時など、よく2階に上って、CX のベトナム人スタッフにお願いに行ったりしました。あまり乗客が行かないところなんですが・・・。)

 ② は “到着ターミナル” で、走行し始めた車から撮った写真で少々見にくい写真ですが・・・。左側が “国際線到着ターミナル” 、右側が “国内線到着ターミナル” です。
 
  飛行機が到着すると、タラップで地上に降りて、ランプバスに乗ってターミナルへ移動します。ターミナルに入るとすぐに “入国審査カウンター” でした。ここが時間かかって、時間かかって・・・。コンピュータの端末をたたいて、本省にあるデータベースにつないでブラックリストを照会していたそうなんですが、その通信も遅いこと、遅いこと・・・(インターネット解禁前の時代です)。入国審査官も手持無沙汰で・・・、私のパスポート見る、私の顔を見る、何かを記入する、私のパスポートを見る、私の顔を見る・・・・・・・ 「私の似顔絵でも書いているの!! 」 と表現した人がいましたが・・・。

  私は殆ど香港経由で移動していましたが、週2~3回香港便到着と同じ時間にエールフランスのジャンボ機が到着します。香港便はエアバスA320で満席でも180人くらい、敵のジャンボ機は350人くらい乗っています。どちらの乗客が先に入国審査カウンターにたどり着くか!飛行機がタキシングしているうちから、”気が気でなかった” のをよく覚えています。だって、エールフランスの前になるか後になるかで1時間以上違うんです。

 入国審査カウンターを通り過ぎると、そのカウンターのすぐ後ろでタクシーの客引き・・・これには閉口しました。出迎え客は到着ターミナルの建物に入れないようになっており、建物外にあった柵の外側で待っていました。空港関係者、政府機関職員、外国大使館員や我々一般企業も申請をすると ”入構パス(名札のようなもの)” を発行してもらうことができました。そして、その入構パスのステータスに応じて、あるところまで入れるようになっていました。ステータスによっては入れる場所が異なりますが、一番ステータスが高いものは、入国審査カウンターまで入ることができました。我々のような一般企業は建物の外の柵の内側に入れるだけで、あまり意味がなかったのですが・・・。でも、何故タクシーの運転手が入国審査カウンターまで入れる入構パスを持っているの?名札をよく見ても、ちゃんとステータスの高い入構パスでした。この状況、実は一部のタクシー会社の運転手だけで、彼らは “ベトナム航空” の子会社のタクシーだったんですね。この頃の社会主義国によくある “ズルい” 光景でした。そしてこの運転手たちのしつこかったこと・・・。現在のノイバイ空港のタクシー乗り場、いろいろな意見があろうかと思いますが、本当に現代的なものになりました。

 そこを過ぎても、まだまだ難関は続きます。最後に税関を抜けて釈放(失礼!)となる訳ですが、税関すべてのカウンター(というよりテーブル)にX線検査装置が装備されて、全員が全荷物をX線に通さなければなりませんでした。その頃、悪い税関員(特にある一人が特に・・・)がいて、外国人が来ると遠くにいてもすぐに外国人のところに飛んで来て “いちゃもん” をつけます。この頃は、スーツケースの他に段ボール箱を数箱といういう人も少なくありませんでしたが、“段ボール” が彼の “ねらい目” であったようでした。まぁ、ここでも時間がかかったこと・・・。

 ターミナルの話が長くなりました。③は1995年、国際線出発待合ロビーへ向かう通路で、写真の左側に少しの免税店が並んでいました。④も1995年、飛行機に搭乗する直前の待合ロビーです。 “直前” と言ってもこの頃は 飛行機に直接架ける “ボーディングブリッジ” など一つもありませんでしたので、写真の左奥に階段があったのですが、そこから下におりて ”ランプバス( “神戸市交通局” のバス。後述します。)” に乗って飛行機に向かいました。この写真は2階ですが、別棟の1階にも出発口があり、台湾行きなどはそちらから ”ランプバス” に乗ったのを覚えています。迷いやすかったですね・・・。

 ⑤~⑨は空港ランプの様子です。
 ⑤は、ベトナム航空の主力機だった旧ソ連製のツポレフTU-134です。1996年の写真ですが、この頃はもうそろそろ退役という頃でした。また、その手前に写るのは当時の ”ランプバス" 、”神戸市交通局” から供出のバスで、日本語の行き先表示や ”つぎとまります” の押し釦や表示器がありました(機能していました。ボタンを押したらちゃんと鳴って、睨まれました。)。そして、何と “左ハンドル” に改造してありました。どこをどういう風に改造したか、見ただけではわかりません。緻密な仕事です。ただ唯一トランスミッションのシフトレバーだけは、床の接続部を移動することができなかったようで、右側の床から異様に長いシフトレバーが運転席に伸びていました。私が最初にハノイに到着したのは、1995年の2月、阪神淡路大震災の翌月でした。その時、”神戸市交通局“ のランプバスは全て ”新長田駅“ 行きの表示になっており、震災前にハノイに来て難を逃れたバスだということがわかりました。何か複雑な感じでしたが・・・。

 ⑥の飛行機は、マクドネルダグラス MD-83 という機種かと思います。当時、ベトナム航空の他に “パシフィック航空” という民間航空会社があり、細々と国内線を運航していました。この航空会社、現在は “ジェットスター・パシフィック” になっています。この写真は1999年ですが、後方に新ターミナルが建設中です。この建物、2014年まで国際線にも使われていた現在の国内線ターミナルです。1995年頃には基礎工事が始まっていたようですが、若干の工事中断期間を経て2001年にオープンしました。現在は老朽化や雨が漏るとか・・・評判が良くないようですが、実は成田空港の第二ターミナルや羽田空港の第一ターミナルより6~7年新しいのです。

 ⑦、⑧は、当時ベトナム航空での最新鋭機のエアバスA320です。エールフランスからのリースで(客席のシートベルトのバックルにエールフランスのロゴのものが混ざっていたのはご愛敬でした。)、しかも乗員込みのリースであったようです。2人の運航乗務員は、ひとりはフランス人と思われる西洋人、もうひとりがベトナム人で、両方4本線(つまり機長)でした。巡行飛行中は二人で分厚い本のようなもの(マニュアル?)を膝において、訓練をしているようでした。(この頃、香港~ハノイの便は、飛行中終始操縦席のドアを開けっ放しでしたので、よく見えました・・・。)

 最後、⑩、⑪は比較的最近の写真です。

  ⑩は、2013年に撮ったものですが、ノイバイ空港29L滑走路端の誘導路に放置されているボーイング727です。搭乗した飛行機の窓からも見えますので、ご存知の方も多いかと思います。カンボジアの航空会社が使っていましたが、2007年にノイバイ到着後に故障が見つかり、資金難から修理ができず、置きっぱなしになっています。カンボジア政府はこの機体の登録を抹消した旨をベトナム政府に通知しており、持ち主が無い状態のようです。ベトナム政府は2017年に競売にかけることを決めたそうです。2018年現在もまだあるようですので、まだ売れていないのですね。(1964年に初就航したボーイング727という機種で、そのうえ10年放置したものとなっては、買い手を見つけるのは難しいでしょうね・・・。)ちなみに10年間の未納駐機料は約5,000万円になるそうです。

【2019年10月21日 追加】
  本日、このボーイング727に関して新しいニュースを見ました。ハノイ市にある高齢者介護施設 ”ジエンホン高齢者介護センター” が譲り受けを申し出たそうです。申し出た理由は、「人生で一度は飛行機に乗ってみたい」 との入所者たちの夢を叶えたいと、センターの従業員の発案だそうです。まだ決定ではないそうですが、航空局が合意すれば、労働・傷病兵・社会問題省 (MOLISA) もこのセンターの譲り受けのサポートをする意向だそうです。高齢者の夢をかなえたいとの従業員達の気持ちが是非実現すれば、と切に思います。

  ⑪は、ベトナム航空の旧ソ連製の飛行機イリューシン IL-18という機種です。初就航は1959年で、東側諸国で重用された機種で、各国の要人輸送などにもよく使われていました。この写真は2018年撮影したものです。朽ち果てていますが、まだ登録は残っていると聞いたことがあります。私が初めてノイバイに到着した1995年には引退していたようですが、この1機はその頃からからずっとおなじ場所にいます。東側諸国では長い間にかなりの数が使われ、航空史上名機といわれる機種の一つですが、現在フライアブルな機体は北朝鮮くらいしか見る機会が無くなりました。現在、北朝鮮ではこの機種に乗る外国人向けのツアーが結構いい観光資源なのだそうです。(一部のマニア向けですが・・・。世界的に見ると結構な人数になるかも知れません。)

【2019年11月10日 追加】

1990年代前半まで使われていた管制塔の建物が解体されるようです。

1990年代後半に新しい管制塔が建設されてそれ以降使われていなかった様子(グランドコントロールに使っていたかも知れないですが、詳細はわかりません)でしたが、建物は残っていました。

現在の管制塔は2014年にターミナルビルの前、幹線道路を挟んだ敷地に近代的な背の高いものが出来ています。

左の写真が、旧々管制塔で、2019年10月撮影。右は、旧管制塔跡地に建設されている建物。VIPルームでしょうか?旧間瀬等の建物の下層階にはVIPルームと、VIP用の空港進入口がありましたので・・・。

2018年10月23日