Trang Tien Plaza ... 昔は国営百貨店

Trang Tien Plaza(チャンティェンプラザ)です。

  右上の写真は、1995年の店内の様子。この頃は ”国営百貨店” でした。外観の写真がなくて残念ですが2階建でした。埃っぽい古いタイルの床、木枠にガラスをはめたショーケース、そして1995年でもあまり物はなく、石鹸やブラシ、布製品などの日用品がそのショーケースの中に並べられていました。右下の写真は2001年で、”チャンティェンプラザ” として建設中の様子。左の写真は2018年(歩行者天国の日で車やバイクがいません)です。

  ”国営百貨店” の建物は、1996年頃には取り壊され、2000年頃までは更地でした。東京なら銀座四丁目のような場所です。そんな一等地なのでいろいろと揉めていたという話ですが、その期間、勿体ないことでした・・・。”国営百貨店”は、勿論ベトナム戦争時代も営業していました。戦争中は朝5:00から営業して8:00頃にいったん閉めたそうです。そして夕方16~17:00頃に開けて、20~21:00頃まで営業したそうです。日中は空襲の恐れがあり、その時間に人が集まっているのは危険という理由だそうです。企業や学校も同様であったそうです。今、学校の授業開始は、小中学校でも大学でも朝7:00というのが殆どです。小中学校は校舎が不足で2部制になっているということも理由ですが、7:00と早くても皆平気で登校してくるのは戦争のころからの習慣かも知れません。会社でも所定時間外操業が必要な時、夕方の ”残業” よりも朝の "早出" の方が喜ばれました。(今の若い人たちは変わってきているようですが・・・)戦争中の”国営百貨店”では、日中の店を閉めている時間は、”移動販売車” を押して街に出て販売をしていたそうです。大変な事ですが、あちこちでとても重宝されたそうです。

  現在、”チャンティェンプラザ” の中にはブランド店がたくさん入っています。ある時期、ハノイの人の多くが 「あそこは偽物がある!」 と言っていました。実際にニュースになった事件もありましたね。まさかブランドの看板があるお店でそんな事を?と思いますが、店員が取り替えてしまうと聞いたことがあります。真偽の程はわかりません。”ドイモイ政策”の前、”バオカップ” と言われた配給制度の頃、配給の係員が先に良いものを取ってしまって、並んだ人たちは粗悪なものしか手に入らなかったと、その時代を知っている人たちに聞いたことがあります。 「ブランド店の店員が取り替えてしまっている」 というのも、本当なのか、”バオカップ” のころのイメージから 「そんなもん」 と人々のイメージからの "都市伝説" なのか・・・。そんなことから物を買うときは、ブランドもの以外電気製品などでも、新品であってもしっかり箱から出して品物を自分で確かめてから買っていますね。こちらから頼まなくても店員が開けてくれます。その後、梱包材料やら何やら箱にちゃんと戻らなくなってしまうのが個人的に嫌いです。また電気製品などは、家に帰って新品の箱から自分で出すのがワクワクするのですが・・・ 。

  そう言えば、以前 Hai Ba Trung 通りの電器屋さんで何かを買った時、箱にはメーカーの封印のテープが貼られていましたが、店員は、その裏の封印が無いところを丁寧にカッターで切って、製品を出して、私に見せながら丁寧に説明をして袋に入れてくれました。箱はそのまま回収。箱に入れて持ち帰りたかったのに・・・。その箱はどうするんでしょうか・・・。でも電気製品の偽物を造るのは簡単ではないですから・・・。箱を買い集める人がいるのか・・・。

”国営百貨店” の外観は動画で撮っていました(8ミリビデオですが)。下の画像はそこから切り取ったものです。ボヤっとした画像ですが、参考に。

そう言えば、元参議院議員の 故 田英夫 さんが、1967年TBSのニュースキャスターをされていた時の特集番組を Youtube で見ることができます。そこで ”国営百貨店” の様子に触れられています。下にリンクを付けますのでよかったらご覧ください。(10分くらいずつ(1)~(5)に分れています。)
他にこの取材の一部始終をまとめた著作 ”ハノイの微笑” も著されています。ここにはもっと詳しく当時の人々の姿が描かれています。

 故 田英夫さんは、当時TBSのニュース番組 "ニュースコープ” のキャスターでした。現在のいわゆる ”ニュースキャスター" の先駆けです。第二次大戦の時は ”特攻隊” の艇隊長として訓練し出撃命令が下る前に終戦を迎えたという経験をお持ちです。

 ベトナム戦争当時、日本の報道はアメリカからもたらされるものしかなく、両方からを見ないと真実を伝える報道としては片手落ちと、様々な困難を制して西側のメディアとしては初めて北ベトナムを取材されました。実現には当時のTBSの今道社長(後にTBS会長、日本民間放送連盟会長)の後押しもあったそうです。今道社長は、以前大阪商船にいらっしゃた時にベトナムに駐在し日本人会の会長をされていたそうです。今のJCCI(ベトナム日本商工会議所)の大先輩ですね。

 ザラーム空港に到着し、Long Bien 橋を渡って、メトロポールホテル(当時はトンニャットホテル)に滞在し、ハノイ市街、フンイェンからハイフォン、また中部近くまで広く取材されていました。戦争での状況のみならず、街の様子や人々の暮らしにも触れられて興味深いです。国力に圧倒的な差がある敵に対して、明るくそして活力を持って暮らす人々の様子は、現在のベトナムの発展の活気にもつながるものがあるかも知れません。

2018年10月28日